シアトル桜祭りでの出逢い
2017/04/25
匠です。
今日は、年に一度シアトル市内で開催されている
「シアトル桜祭り」
に参加してきました。
イベントの名前からして、ある程度予想ができるとは思いますが、
そう、日本に所縁のあるこの北米、シアトルの街では
日本の分化そのものや、かつて栄えた日系人コミュニティに関する出来事などが多く、
この桜祭りでは、様々な出店や展示、催し物を通じてそれらへの理解を深めることが出来ます。
日本人留学生として、海外からみた日本の印象はどういったものなのか、
とても興味があったので、ノアと二人で行ってきました。
開催場所は、シアトルで最も有名な観光の名所「スペースニードル」の真横に在る、シアトルセンター内で行われます。(東京でいう、東京タワー周辺のシアトル版です)
最も手軽な行き方は、市の中心部に在るショッピング街
「ウェストレイク」から「シアトルセンター」行のモノレールに乗ることです。
モノレールは片道5ドル、約3分の乗車でビルの間を潜り抜けていきます。
僕とノアはウェストレイク駅からシアトルセンターまで、20分歩くことで5ドルを浮かせました。
「祭り」とは呼ばれているもの、開催場所に近づいても大きな太鼓が鳴り響くわけでもありませんし、特別目立った様子はありません。
しかし、建物内に入るとそこには、
日本の文化を象徴する伝統芸能や、芸術に関わる出店や展示物が多数!
それに加えて、戦前に起きた日系人の悲しい過去などを伝承することにも力を入れている様子。
ワシントン州の土地へ足を踏み入れるまで、その様な過去があったとは全く知りませんでしたが、
街を歩いていると日系だと思われる人とすれ違ったり、
日本を思わせるような建物、お店、街の雰囲気が多くみられます。
中でも現在のチャイナタウン、その横には旧日本街の面影が残っており、
当時の着物屋さん、居酒屋、ホテル、そして神社など色々なものを見ることが出きます。
その様な郷愁の想いに浸っていると、懐かしい匂いが漂ってきた。
食べ物ではありません。 お線香でもありません。
そう、「墨」の香りです。
硯に向かい、擦る度に深まる心落ち着く優雅な香り。
幼少期、書道教室で一緒に通っていた姉に虐められながらも、
その墨の香り、半紙に筆が走る快感、当時僕に指導してくれていたおばあちゃんが大好きで、
へこたれることなく小学一年生から高校一年生まで通っていました。(夜の部活動が始まり、忙しく通うことが出来なくなってしまいました。)
約十年続けていた書道でしたが、心のどこかで「悔い」なのか、「寂しさ」なのかは分かりませんが、濁った心残りが有ったのは確かです。
そして留学が始まり1か月後の今、太平洋を越えたこの北米シアトルの街で、
「書道」を目の前にしています。
何もない零の状態から約20年、シアトル(レドモンド市)を始め、
今現在(2020)では、西海岸の町々「オレゴン州ポートランド市」「カリフォルニア州ロサンゼルス市」でも教室を構え、
東京、浅草橋でも定期的に教室を開いており、とても多くの生徒たちが明藤書道会を通じて「書」に真剣に向き合っています。
桜祭りにブースを構えていた明藤書道会の皆さんは、
来場者に書道を体験して頂けるよう、机に座り文字を書くための書道の道具が置かれており、向かい側には書道教室の生徒らしき人たちが座っている。
どうやら、書道の道具の説明、書道をするときの姿勢や構え、これから書く文字の画数や意味などを来場する一人一人に丁寧に教えているようだ。
仮に僕がそれに座ると、「10年間習っていた」という先入観と「自分は日本人」という妙な自信が邪魔をしてしまうので、
初心者、ノアが体験をすることに。
書いた文字は「心」。
画数は少ないながらも、バランスを取るのがとても難しい漢字。
綺麗に書くというよりも、体験に来たその人自身の「心」が文字に出るような、
そんな視覚的芸術性を越えた、意識を整える体験が可能な空間になっていたと感じます。
ノアも、普段はサラサラと筆記体の英語をとてつもない速さで書き綴っているが、
一画一点、ゆっくりと心を込めて書いていました。
書き終わったあと、どこか清々しい様子の彼。
文字の力は凄いと改めて感じます。
そんな様子を見ていた僕は、
黙って見ていると落ち着かず、明藤書道会の代表の方と思われるご夫妻にいきなり声をかけ、気づいた時にはもう
「書道を習わせてください」
と口から切実な思いが溢れていました。(後に振り返ると、めちゃくちゃ失礼。)
ご夫妻の、旦那様の方から明藤書道会、そして藤井良泰-Master Yoshiyasu Fujii-と書かれた名刺を頂き、
家に帰り速攻メール。
「今朝、突然話しかけてしまったものですが、次の教室はいつでしょうか。通わせて頂きたいです。」
この様な一方的な内容のメールを送っていました。
「それでは、今週土曜日の午前10時、体験に来てください。」
この返事を頂いた時には既に入会を決めていたので、体験をしに行くという感覚はあまりなかったのですが、
その週の土曜日の朝、告げられたた通りの時刻に、頂いた住所を訪れる。
どうやら拠点はここシアトル、藤井先生方のご自宅で教室を開いているようで、
玄関の扉を開けた瞬間に香る墨の香りに蕩けてしまいそうであった。
お邪魔した書道教室では、およそ5年ぶりに筆を握らせて頂きました。
上手に書けたかどうかは別として、
幼い頃から習っていた書道、
手が自然と動く。いわゆる「マッスルメモリー」というもの。
手首は相変わらずガチガチに固まっているけれど、
背筋や、机との距離感、そして書に向き合う姿勢は以前と変わらず真剣です。
教室内の雰囲気は、以前通っていた教室の時より少し緊張するけれど、
それは日本を離れたこの土地での日常生活には感じることのない感覚で、
とても有難く、半紙と筆が擦れる音の聞こえるまでに静まった教室は心地がいい。
二度書きをする度、姉と姉の友達に永遠と揶揄われ続けた以前の教室内の出来事は
この場所では決して起こることはないだろうという希望を感じる。
「体験」を一通り終え、明藤書道会への入会を正式に決定。
と同時に来週のお稽古に向けての、「宿題」を課せられました。
家で書道をするのは滅多にありません。書初めくらいだろうか。
初めての書道の宿題、緊張が走ります。
そして、藤井先生が目の前で今回の課題となる文字をさらりと書く。
...
その瞬間的に起こった出来事に頭が追い付かない。
1つ覚えていることは、
「この人に付いて行きたい」
直感的にそう感じたこと。
流れるような筆、半紙の上、白黒の空間を支配する。
先生の洗練された技術が、明々白々。
これは、とんでもない所に来てしまったようだ。
今までに見たことのない様な、大胆かつ繊細、とても美しい書道。
まさか、日本を離れてすぐ、ここに辿り着くとは。
まるで導かれるかの様に、ここに来たという認識。
桜祭りを通じての素敵な「縁」に感謝を抱きます。
これから、気合いを入れて再び「書」に向き合おう。
そう感じた麗春の候でありました。