素晴らしきドラァグクイーンショー
2017/06/08
匠です。
皆さんは、「ドラァグクイーン」と呼ばれる人達がいるのをご存知でしょうか。
Wikipedia では「ドラァグクイーン」について以下の様な説明がされています。
“ドラァグクイーンの起源は、男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段として、ドレスやハイヒールなどの派手な衣裳を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことにあるといわれる。
本来はサブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の一つであるため、ドラァグクイーンには男性の同性愛者や両性愛者が圧倒的に多い。しかし近年では男性の異性愛者や女性がこれを行うこともある。また趣味としてこれを行う者からプロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグクイーンの層も厚くなっている。“
日本では聞き慣れないこの言葉の意味そのものも、もしかすると多くの人にとっては馴染みのないものかもしれません。
今回は、そのドラァグクイーン達が行うパフォーマンスショーに参加した際の様子についてです。
僕の通う短期大学エバレットコミュニティーカレッジでは、年に一度春学期の期末テスト直前にドラァグクイーンショーが開催されます。
テスト前のストレス緩和を目的としているようですが、参加するクイーンたちの中には「ミス・ワシントン」という名高い称号を持つクイーンも参加しており、レベルが非常に高い。
その為か、会場に用意された150人を越えるであろう座席は開場前から埋まっており、席を確保できなかった人は立ち見するほどの賑わいぶり。
会場内の照明が落ち、ポップな音楽と共に大柄な人が入って来た。
真っ白な顔に黒く塗りたくられた瞼、
身体が動くたび光が反射し煌めく衣装、
そしてどっしりとした声にフェミニンな手や顔の仕草。
MCとしての彼(彼女、以下"クイーン"と呼ぶ)が話し始めるや否や、
観客から笑顔がこぼれる。
僕でも分かるジョークは、大体下ネタ。
ゲイとしてのクイーンが自分自身を皮肉な言葉で包む。
この感覚は何だろう、間違いなく楽しい夜になるという確信が僕に安心感を与える。
「最初のパフォーマーの登場よ。おいでなさい、ステイシーちゃ~ん」
新たなクイーン入場。
ステージの上で、音楽に合わせた口パクとダンスが始まる。
これは、、、何という高揚感! 楽しくて、ウキウキする!
フォークライフフェスティバルのドラムサークルで踊り狂った時に似た
自然と身体と心が火照って高まる感覚、たまらない!
パフォーマンス中、ステージを降りて、客席側の通路を歩き回り始めた。
ドル紙幣をクイーンに直接渡す客もいる。
「そうか、こうしてチップ形式でパフォーマーに感謝を示すのか」
財布の中の現金ドル紙幣がいくつあるかを数える。
5,6枚の1ドル札があったので、全パフォーマーに一枚づつ渡そうと決める。
パフォーマーが近づいてきた...
緊張したが、手を伸ばしドル紙幣を渡す。
くるくる回りながらも、クイーンはそれを横目で視野に入れていたらしく、
「サッ」と僕の手先から紙幣をかっさらっていった。
その瞬間の空気の流れが、あま~く、とろ~っとするような
香水かフェロモンか、異空間を感じた。
一人のパフォーマンスが終わると、再びMCが入場し
「まあまあだったわね」と辛口コメント。
パフォーマー同士の信頼関係の深さがうかがえる。
ある程度の言葉を重ねたあと、次のパフォーマーが入場。
この繰り返しである。
ショーが中盤に差し掛かり、休憩時間と共に質疑応答の時間が設けられた。
予め匿名で募集していた質問の書かれた紙をボックスから引き抜き、
パフォーマーひとりひとりが質問に答えていく。
「給料はいくら?」
「化粧にかかる時間は?」
「衣装はどこで手に入れるの?」
「陰部はどうやって隠しているの?」
クイーンたちは包み隠さず、全ての質問に答えていく。
もちろん、客席の笑いは絶えない。
しかし、会場が静まる瞬間が。
それは次の質問に一人のクイーンが答えた時。
「どうしてドラァグクイーンになったの?」
そのクイーンは、きっかけは幼少期にあったと語る。
「学校でいじめられ、親からは見捨てられ、生きている心地がしなかった」
壮絶な過去を明かすクイーン。
「でも今は、多くの人を笑顔にすることが出来て、自分にも自信がついて、良いことばかりよ」
日本国内のテレビ番組では、最近おねえキャラを見かける機会が増えているが、
一般の人たちの中にはまだまだ多くの少数派が生き辛い悩みを抱えているだろうし、
その事実への寛容さなども、他国に比べては低いように感じる。
そんな中、ドラァグクイーンの様な人たちがステージ上でこの様な言葉を投げかけてくれると、多くの人が励まされるに違いない。
もちろん、「同性愛者」でない人たちも、
逆境に打ち勝ち活躍しているクイーン達の様子を見て、元気が出るだろう。
ショーの最後には、クイーンの中のTOP3だろうか、三人でコラボしたパフォーマンスを披露してくれた。
クイーン本人たちの口から話を聴いた直後にショーを見ると、とても感極まる。
と同時にやはり興奮は収まらない!
今まで見てきたエンターテイメントの中で特に印象的で、もしかすると一番満足度の高いショーだったかもしれない。
ショーが終わると、会場が一般客に解放され、DJの音楽に合わせてダンスを踊る人たちや、クイーンたちとの撮影会が始まる。
僕も、我先にとクイーンとのツーショットを手に入れ、ステージ上で友達と踊った。
以下、ショー全体の様子をまとめた動画です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) May 20, 2020
初めて本場のドラァグクイーンショーに参加した時の様子です。https://t.co/6wkq1U6to7#はてなブログ #LGBTQ pic.twitter.com/YmnF519Vpv
楽しく、切なく、
色々なことを学んだ夜でした。
次は一年後か、、待てないなあ。
人生2度目のホエールウォッチング
2017/06/04
匠です。
学生寮に住んでいると、寮生限定の様々な特典が付いてきます。
そして今回は「ホエールウォッチング」
約10ドル程で参加できるということで、飛び込んできました。
ワシントン州エバレット市から北上、約45分の場所にあるアナコルテス港付近の海で
Island Adventures が運営する"Orca (鯱)"のウォッチングです。
タイトルにもあるように、今回は人生で2度目となるホエールウォッチング。
小型船で、もの凄い縦揺れを乗り越えたにも関わらず、
イルカは一匹も現れませんでした。
99.9%の出現率を誇る天草の海上で、奇しくもウォッチング出来ませんでした。
船長さん、ツアーガイドのお姉さんに物凄く謝られたけれど、
相手は自然なのでしょうがない...(その時受け取った再挑戦用の無料券は未使用)
そして今回、熊本から太平洋を渡り遠く離れたここ北米の海での再挑戦。
結果からいいます。シャチは現れませんでした。
こちらも、99.7%の遭遇率を誇る、アナコルテスの海。
ここまで来ると、何かに憑り付かれているような不運ぶり。
しかし相手は自然なので...
幸運にも、海上散策自体はとても楽しかったです。
曇ってはいたものの、景色は良かったですし、
浜辺を飛び回る鷹を拝むことも出来ました。
Uターン地点で頂いた地元のクラムチャウダーもとても美味しかったです。
結局、2度目のホエールウォッチングも残念な結果となりましたが、
また無料券を頂いたので、留学中に必ず再挑戦します!
書の師匠が大学へ来ました
2017/06/01
匠です。
以前、シアトル桜祭りで出逢った明藤書道会の師範である藤井先生方が、僕の通うエバレットコミュニティカレッジに来校しました。
毎年6月になると、美術学部の講師リンダ・バークレー教授が藤井先生方をカレッジに招き、実演、ワークショップなどを行う様です。
西海岸だけでもワシントン州レドモンド市を含め、オレゴン州ポートランド市と、カリフォルニア州ロサンゼルス市にも稽古場を構える明藤書道会。
毎週の様に空を飛びまわる先生方ですが、まさか自分の通う大学にこうして訪れているとは思いもしなかったので、実際にその場に居合わせることが出来てとても嬉しかった。
イベント当日、全体の概要としては前半実演、後半ワークショップで、計2時間ほどの内容。
前半部の実演は、美術学部生専用の建物、Whitehorse Hall のCritique Space (作品展示専用の広間)で、生徒約30名の前で、先生が直々に書を披露。
藤井先生が筆の特徴や漢詩について説明をし、横にいる娘さんが英語に訳して伝えていく。
書についての知識が余り無い学生たちが、目を見開き前のめりに聞き入っている。
特に、金色の半切に書かれた篆書と、梅の花と木の幹の墨絵の横に添えられた漢詩の一枚は、圧巻でした。
墨絵をした際には、学生の中から数人選び一緒に描いて作品を仕上げていたが、その時藤井先生が優しく丁寧に指導する姿は本当に素敵でした。
普段の稽古中、書道教室で厳しく生徒に指導する様子との違いに緩急を見ることが出来、ああこれがプロなのだとしみじみと痛感しました。
実演を目で見て体感した学生達の興奮は冷めやぬまま、上階、絵画授業用の教室に移動し、「三ハ」で止め、払いを練習し、「志」という字を学生全員が半紙に練習、そして最後は色紙に書き上げ自分の作品を自宅へ持参出来るという盛沢山な内容。
僕が声をかけ誘ったダンとジェイミーは、「誘ってくれてありがとう、本当に素敵な時間だった」と伝えてくれました。
僕は実際の教室へ通い、先生方から直接指導を受けているので、その荘厳さというか、達人技を少しでも感じてもらえて、僕もとても嬉しかった。
人々と歴史を繋ぐ書に魅了され、今日も今後も稽古に励みます。
北米最大級のヒッピー大祭「フォークライフフェスティバル」に行ってきた。
2017/05/28
匠です。
今日は、今後の人生に大きな影響を与えるであろう、とても素敵な
5月最後の週末、
その名も「フォークライフフェスティバル」
今年で約50年目を迎えるこのお祭り、
開催地へ足を踏み入れた瞬間感じる音の振動、人々の鼓動、
4月末に訪れたベイリンハムでのハウスパーティーが東京ドーム規
聴こえる音楽は打楽器や弦楽器、
時偶に、
参加者の多くは、北米原住民を思わせる様な風貌、
それもその筈、辺り一帯は大麻の煙に焚かれていて、
僕とノアなんか、超ロングドレッドヘアを頭から垂らした男に
「この後ビーチ近くの森の中でマッシュルームを楽しまないか」
「この蜂蜜、舐めてみろよ」
「この碧色の石を手に持って感じてくれ」
と明らかに怪しい言動を約10分浴びせられ続けた。
僕はセージを焚いて煙を鼻から吸えば心落ち着く、
一線を超えぬ様多くのお招きを回避する術を身に付けられるのはこ
会場内にあるのは音楽と人だけではない。
多種多様な食べ物や、服、装飾品、
僕はフレッシュマンゴージュース、象の耳(ナンにシナモンシュガ
タイダイシャツ一枚と、地元のハンチング帽を1つ、
それら全てで約50ドルくらいかな。
午後、先日一緒にオペラ鑑賞をしたジュリアンと合流し、
スケートパークに着くと、ヒッピーな風貌な人は少なず、
難関技を連続で成功する様なハイレ
ベルなスケーター達が滑る中、
彼の大きなガタイからは想像出来ない程繊細な足捌きと平衡感覚の
僕はその場で彼を含めたスケーター達の写真を撮って楽しんだ。
暫く経つと、ジュリアンも疲れた様で会場の中心部、
横になって暫くすると、
それは時間が過ぎると共に更に強まり、
休めた体を起こし、そこへ向かうと、2,30人程の打楽器や鳴り
打楽器の振動に合わせ、体をうねらしたり、
迷わず僕らはその輪の中に入り、踊り続けた。
以下の動画はその時の様子です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) April 25, 2020
北米最大級のヒッピー大祭「フォークライフフェスティバル」に行って来た時の様子です。https://t.co/RNkB3USoU0 pic.twitter.com/NUScCofGc3
気付くと日が沈み始めていて、どうやら僕たちは三、
疲れは感じず、
この感覚は何だろう、何だか分からないけれど、とても幸せで、
特に踊っている間、覚えているのは5、
日が暮れて、フォークライフも終了。
愉快な時間がもう直ぐ終わる寂しさを感じつつ、
エバレットへ戻る前に、
家に着くと勿論、足が悲鳴を上げ続けた。
夜は長くなりそうです。
ジュリアンとの出逢い
2017/05/21
匠です。
今日は、新しい友人ジュリアンとの馴れ初めについて書きます。
結果から言うと、彼はノアの中学時代の友達で
暫く経って最近(2017年)、再び遊び始めたようです。
初めて対面したのは、シアトルで公演が行われていたオペラ鑑賞の際、
知らぬ間にノアが彼を誘っていたようで、
一緒に会場入りすることに。
中へ入ると、スーツやドレス、正装姿の貴婦人・紳士たちがぞろぞろと。
それに対し僕たちはシャツ一枚の軽装、
まあ鑑賞されるのは僕たちじゃないから、気にしない。(一人じゃなくてよかった)
当時公演されていたオペラ劇はかの有名な「魔笛」
特に「夜の女王のアリア」
世界で数人しか歌うことの出来ないあの高音。
前日夜更かししていた僕は劇中うとうとしていたけれど、
「ハッホッハッホッハッ」
美しく力強い高音で一気に目が覚めました。
実はウトウトしてしまった理由はもう一つあり、
演劇人たちが劇中使用していた言語がドイツ語で意味不明だったこと。
後から聞くと、ステージの上部の黒枠に英語字幕が表示されていた様だが、
僕の着席した場所には屋根がかかっていて、
なんとそれに隠れてその字幕が見えなかったのです。
更に、
公演開始前、会場が人で溢れていて
手洗いから戻ると、一緒に来た友人たちを見失い
しょうがなく僕一人後方部、唯一空いていた席に座ったので
一人ドイツ語を訳分からぬままそのままうたた寝。
もちろん、素敵な歌声に心地よくなってしまったという言い訳もあります。
肝心の「魔笛」の内容ですが、
ストーリーについては書き下ろすと長くなるので、
以下、別記事より引用でご勘弁。
劇中に使われていた創作衣装に色彩豊かな赤・青・緑などが用いられており、
出演者たちの手作りなのかな、と思わせる「学芸会感」がたまらなかった。
公演が終わった頃、まだ昼を少し過ぎたあたり。
お腹が空いたのでシアトルのローカルチェーンバーガー店「Dick's」で腹ごしらえし、
エバレットへノアとジュリアンの三人で戻る。
どうやらジュリアンは今夜泊まるらしい。
夜はいつも通り散歩へ行き、夜ご飯は親子丼。
夏の足音が聞こえ初めた皐月の暮れ、
朝は芸術に触れ、夜は夕陽と三日月を眺め、
少し爽やかな一日でした。
マカティオビーチで知らない人の誕生日を祝う。
2017/05/26
匠です。
今日は金曜日。
そして友達の友達の誕生日。
つまり、知らない人の誕生日会に誘われたわけです。
今回人が集まる場所は、エバレット市の少し南に位置するマカティオ市。
"マカティオ" (Mukilteo) という聞き慣れない名前は、
昔この北米地域で暮らしていた原住民インディアンの人々の言葉に由来して、
「Muckl-Te-Oh」は「Long Goose Neck (長い首の雁)」という意味の様です。
その他にも、僕らが住む郡の名前は「Snohomish→Sdoh-doh-hohbsh(低地の人々)」
そして「シアトル市」は且つてその地域の酋長であった"Si'ahl(1780-1866)"さんの名に因んでいるそうです。
その市内のビーチは、キャンプファイヤーが出来る場所が浜辺にあり、
さらに屋根付きのBBQ場、そしてビーチバレー用の砂場コートも施設内に施されています。
隣接するウィッドビー島へのフェリーが数十分に一度の頻度で通っています。
夕焼け時の空と海のコントラストは素敵です。
長い雨季が過ぎた5月辺りから秋の始まり9、10月頃までは
利用客の出入りがとても激しくなります。(特に若者や家族連れ、カップル)
BBQ場は予約制だが、バレーボールコートと焚火エリアは早いもの勝ち。
午後5時開始だったけれど、
ヤサール、ブライアン、そして僕の三人は2時間遅れ、
午後7時頃から参加した。
ビーチに着くと、既に友達の友達の友達たちが場所をとってくれていて、
約30名?程集まって大賑わい。すぐに見つけ合流できました。
特に仲のいい人はそのグループにはいなかったので、
自己紹介から始まる。
拙い英語を話す僕に対し、
皆優しいなあ、でもどこかおかしい。
それもそのはず
ある人のポケットには
隠し持たれたウイスキー(Rich & Rare)
またある人のポケットには
鮮やかな色で塗られているパイプ(大麻)
アメリカの若者とは、
こういう感じなのかな?
アブドゥルを悪童と呼んでいた一か月前の僕は、
既にそれが普通かの様に、耐性が付いてきている。
しかし、未成年の飲酒、禁煙は違法だし、
特に外での飲酒はこの国ではアウト。
それについてわざわざ言及している僕は、
罪から逃れようとしているけれど、
振り返ると、同罪ですよね。
しかし今は2020年、「終わり良ければ総て良し。」
そんなわけで、
当時は僕もその輪に加わり
飲んで、食べて、撮って、
パイがその人の顔に投げられるまで、
誰の誕生日か分からぬまま
その時間を楽しむことが出来ました。
日本語クラブ主催のマンガ祭りの規模が大きかった。
2017/05/20
匠です。
以前カラオケバーへ一緒に行ったメンバーと僕が所属する「エバレット大学日本語クラブ」
今回は、そのクラブが毎年5月の第三週に開催するお祭り ””JAMAF" (Japanese Anime & Manga Arts Festival) の規模が思っていた時より大きかったので、その時の様子を書きます。
まず、日本語クラブとは、部員約30名程から構成されている「日本文化について知ろう」というクラブで、
週に一度集まり、毎週異なることについて部員同士話し合います。
季節に関連のあるもの(節分)や、気になったトピック(東京オリンピック)など、その週によって異なります。(ジブリの映画を鑑賞するだけののんびりした日もありました。)
五月は全ての部活動がこの "JAMAF" の企画、準備に使われ、それぞれどの部員がどの役割を担うかを決め、当日の成功を目指し話し合いが行われます。
僕は、広報(カメラマン)を頼まれたので、特に事前準備などなく、当時写真を撮りまくることでしたが、
ある人は、外部の人と連絡を取り合い使用する部屋と時間などを管理し、
またある人は、その外部の人とお金のやり取りをしていたり、
そしてある人は、大学側と当日のセキュリティ(駐車場や部屋の鍵の開け閉め)、貴重品管理など
細かく分配されており、普段は「NANI?」「KAWAII」ばかり連呼するサブカル系の部員たちが、頭の切れるビジネスマンの様に見えます。
そして当日。
朝7時集合、とても眠い。
しかし開始は8時、準備がすすむ。
最終調整の全体会議が終わり、全員がそれぞれの持ち場へと散らばる。
JAFAFの規模は大学内の建物を3つ占領してしまう程の大きなお祭り、
1つは講堂の様な建物で、継続的にパフォーマンスやトークショー、講演会などがそこで行われる。
また別の場所では、大学内で一番大きな建物で、多岐に渡るベンダーが集まり、それぞれの芸術作品や特技を用意された机、持ち場で披露。
そこにはこのイベントのスポンサーである”ワシントン州日米協会”の人や、"在シアトル日本国総領事館"の人も来ており、留学情報や、近日開催予定のイベントの広報活動などを行っている。
シアトル市内で日本文化を支え続けているこれらの組織と提携しているなんて、凄いなあ、エバレット大学の日本語クラブ。
そして3つ目の建物、それは日本文化を広めるために建てられた建物 "NBI" (Nippon Business Intisute)。
そこには日本庭園や、京都裏千家式の本格的な茶室が施されており、
イベント当日には庭園を回るツアーや、茶室でのお茶体験など行われ、
日本語の授業で使われる教室内では、使われなくなった湯のみや団扇などが売られる蚤の市(フリーマケット)や、華道の先生がいらしてワークショップを行うなど、日本文化の特色が良く現れます。
広報活動も周辺地域によく行きわたっている様で、
多くの人が絶え間なく来場してきます。
天気にも恵まれ、当日は大成功を治め無事に終了したようです。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) April 2, 2020
大学内の日本語クラブ主催 "JAMAF" (アニメ&マンガ祭り)の様子です。
動画は来場していた方のオカリナ演奏と、ゲストパフォーマーの沖縄太鼓の様子です。https://t.co/7YFhhieWGi pic.twitter.com/yyfER2JR3c
僕は来たばかりで良く分からないままの参加でしたが、
こうやってカメラを回し、来場者の皆さんが楽しそうに過ごしているのを見ると、
毎年一度のこのイベントが人々に愛されているのが本当に感じますし、
何より普段の部活動中の部員の団結感がこういう時に活きるというか、
同じ趣味や嗜好を持つ人が集まるとパワフルだなあと感じます。
アニメや漫画のことは良く分からないけど、
日本文化を広報する人たちに感銘を受け撮影のお手伝いにも性が出ました。
イベント終了後は皆でおなじみカラオケオタクバー"AFK"で打ち上げ。
いい日だった、お疲れ様!乾杯!