ノアの誕生日ー後編ー
2017/05/07
匠です。
今日は日曜日です。
午前中、先日の酋長カウボーイ、ディミトリアスがノア宅を訪れていました。
僕が訪れた頃、丁度ジャムセッションは終わっていたようで、散歩へ行くことに。
長ーーーい雨季も過ぎ、ここ最近は晴れ間の多い日が続いています。
今回は、より茂みの多い道を開拓してみることに。
先日はカラッ刺々しかったブラックベリーの茎も、長い雨季を乗り越えやっと現れた太陽に喜んでいるかのように青々、瑞々しくなっていた。
海岸線とエバレットの町を一望できるこの崖上の秘境は本当に空気が気持ちいいし、自然に包み込まれて優しい気持ちになる。
偶然見つけた太い幹を持つ木の分岐点が、3人全員収まる程深く大きかったのでそこに腰を掛け、しばらく夕陽を眺める。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) April 2, 2020
ノアの誕生日、後編です。
散歩→港→夕飯→港
動画は散歩時の様子です。https://t.co/n3mve26Rjz pic.twitter.com/4EoL3IyQLA
2017/05/08
翌日、放課後に学校近くの小さな港へ向かった。
ディミトリアスは今日授業が無かったそうなので、エバレット組に合流することが出来た。
時間的に魚が集まるのか、かもめの群れがとても大きかった。
港周辺を歩き回っていると、面白いものを見つけた。
いったいどこから流れ着いたのか。にしても保存状態がいい。
家に持ち帰り、リビングの壁に貼り付けた。いい思い出だけれど、少し罰が当たる様な雰囲気、、気を付けよう。
2017/05/09
サプライズは苦手だが、
それぐらいしか、感謝を示す方法が思いつかないので、
今夜、それを試してみる。
彼には、スピーカーと録音用のマイクを、誕生日ギフトとして用意した。
友人のブライアン君の家にラッピング容姿があるようなので、
それでマイクとスピーカーを包む。
ノアの家に着くと、ディミトリアスがおり、ジャムセッション中。
時刻は午後四時、店の予約は午後六時。
シアトル市内の日本食レストランを予約している。
これは、演奏中に間を割らないといけない流れだ。
こればかりは、致し方無い...
「サプラ~イズ」
演奏が少し落ち着いている頃を見計らって、
プレゼントを持って部屋に入る。
彼らはこちらに気付いているが、演奏は続く。
約五分後、「なんだこれは」と一言。
包装用紙を剥がし、中身を見て喜んでくれたようだ。
「ありがとう」と一言告げられ、また演奏開始。
ああ、これからシアトルに行くということを伝え逃した。
「強引に行くしかない」
ともう一人の友人ヤサール君に言われ、
演奏中割り込み、レストランを予約している旨を伝える。
「へえ」
と一言、彼はまた演奏に戻る。
「もうしょうがない」
と再びヤサール。
「今夜お前の為に店を予約してるんだ、一緒に来てくれないか」
「ああ、だからお前らいい服着てるのか」
折角のディナー、僕たちはジャケットやネクタイなどを着ていた。
ノアは嫌々承諾し、彼も着替えてネクタイを締めてシアトルへ向かうことに。
ディミトリアスは夜予定があるというので、帰宅、。
途中でジャムセッションを強制終了させられたノアは少し不機嫌
それでも、車は南へ進む。
ハイウェイに乗り、約30分。
レストランに着き、先日ベイリンハムへ一緒に来てくれたシノと合流。
料理は主に寿司や日本風おつまみ(枝豆、揚げ出し豆腐など)
食事中は、ノアの日本滞在時の話しなどを聴いた。
ブリ "yellowtail" が好きらしく、沢山頼んでいた。
お会計はもちろん僕らの奢り(シノは除く)。
食事の後は、路地裏で写真を撮ったり、
近くのウォーターフロントと呼ばれる観光名所を回る。
その頃は、夜の九時を回っていたので、殆ど店は開いておらず、人も少ない。
適当に夜の街を歩くのは、何故だかドキドキする。
思わぬ発見がある様な、高校時代の放課後を思い出す。
しかしここはアメリカ。
東京都内の様な賑やかさはなく、しんと静まっている。
乗り捨てられたボートや回るのをやめた観覧車を眺めたりすることぐらい。
特にやることもないので、明日の学校に備え帰宅。
今日は、少し可笑しな一日だったなあ。
サプライズは、もうしない。笑
ノアの誕生日ー前編ー
-2017/05/05
匠です。
今日は、ノアの誕生日。
インタビューをした日を境に
ほぼ毎日遊んでいる彼には、日々色々と感謝することがあります。
エバレット市内の案内、
彼を通じて出逢う人々との出逢い、
異言語、異文化に関する支えと理解、
一人暮らしのコツ、
心地良い音楽。
更に細部を引き出すと、キリがありません。
ですので、誕生日はぜひ盛大にお祝いしたいと感じます。
幸いにも、2017年度の5月5日は金曜日。
また、Cinco de Mayo と呼ばれるメキシコの年間行事の日でもあり、
南米系移民の方により、街中がお祝いムードに包まれます。
そんな金曜日、またも偶然、
以前のヒッピー過ぎたハウスパーティで演奏をしていたバンド”Bunk Foss”がエバレット市内にある海沿いのバーで演奏をするというのです。
もちろん、それを聞いた僕と彼はその夜、そのバーへ向かうことに決めます。
バーの名前は「Anchor Pub」
"Anchor" とは 日本語で「碇:⚓」を意味しており、
約80年前、当時のエバレット港に勤めていた船長の一人が
ビールバーを開き、その名残で今も「船」や「海」を連想させる昔ながらの飲み屋です。
そこでは毎週末、音楽ライブが開かれており今回は偶然前回参加したパーティに来ていたバンド"Bunk Foss"だったわけです。
ついてますね~
夜7時半頃、ドアが開く30分前にバーに到着。
当時、僕を含めほぼ全員が21歳未満であったため、手の甲にブルーライトで光るスタンプを押される。店内でお酒は飲めないという印。
まだライブは始まっていないけれど、
指の魔術師、シャムが既に店内でビールを飲んでいた。
オフ状態の彼はいつ見ても愉快で楽しい人だ。
この人が、ドラムを叩いて空間を歪めることが出来るとは誰も予想出来るはずがない。
ライブ開始10分前、最前列に陣取り。
体を揺らす準備は出来ている。
8時になり、MCの人が今日のラインアップを紹介する。
どうやら、前座バンドが2組程いるらしい。
けれど、やはりトリはBunk Foss
ああ、待ちきれない。
2週間も経たず内にまたこうして、あの興奮を感じることが出来るとは。
しかも、大切な友人の誕生日当日に。
前座バンドは即興ラップ、インディー感丸出しのベースラインという感じであったが、
21歳以上の友人に頼みビールを手に入れ、隠れてお酒を飲んでいた僕らは
Bunk Foss メンバー達の入場に向けて鼓動が高まり、流れ続ける音楽に順応していく。
そしてついに、9時頃だろうか、彼らの入場。
流石は地元に愛されるローカルバンド、
前座組に比べ観客が2,3倍も多くバー内が埋め尽くされている。
特に、演奏開始前にバンドメンバーは語ることはせず、
以前同様、ドラムの合図で演奏が始まる。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 28, 2020
ノアの誕生日当日、先日同様BunkFossの演奏を地元の老舗バーで愉しみました。https://t.co/en9TRRoTIc pic.twitter.com/9MJ0gLS1dw
「ああ、このウニョウニョ感。」
ピヨーンと伸びるギターやキーボードの音が心地いい。
シャムも間を読んでたまに太鼓を叩く、
演奏が進むにつれ、
ドラムや、ボーカルのラップのパンチが聞いてくる。
以前のハウスパーティでは、比較的若い学生が多かったの対し、
今回は地元に老舗バーということもあり、
叫んだり、押し合ったりするというような観客の乱れた様子はなく、
より節度の保たれた空間で彼らの音楽を聞くことが出来ました。
そのおかげか、演奏中、バンドメンバー同士が視線を送り合う瞬間や、
少しのズレを修正するため、あるメンバーが別のメンバーに音で合図の様なものを送っていたり、
下を向いて踊り狂っていては決して見ることのなかった、小さな気付きが多く見えました。
非現実的な音が広がる空間に、凄く生々しい人間らしさが表れていて、
視覚的にもまた別の音楽の楽しみ方があることを知りました。
そういった意味では、僕の好きな尾崎豊が、喉を潰しながらも爆発的な感情表現で観客を魅了していたり、
決して上手とは言えない大瀧詠一や細野晴臣の歌声に対し、彼らの無表情な中に現れる悲しみや、声の強弱に伴う聴き心地の良い歌詞上の単語の連なりなど、
曲の意味を越える何らかの感性が刺激されます。
しかしやはり、ライブが終わる頃には疲労が隠せない。
みんな長時間会場に立ち尽くしていたので、足が疲れている。
数時間ぶりにバーの外へ出て、新鮮な空気を吸う。
Bunk Fossのメンバーも出てきて、潮風にさすられながら握手交わす。
店の前、素早く集合写真を撮り、解散。
こんなに贅沢な夜を過ごし、帰りは歩いて10分の所に家がある。
何と幸せな環境に僕はいるのか。
出逢いの繋がりが招いたこの恵みに感謝です。
シアトル桜祭りでの出逢い
2017/04/25
匠です。
今日は、年に一度シアトル市内で開催されている
「シアトル桜祭り」
に参加してきました。
イベントの名前からして、ある程度予想ができるとは思いますが、
そう、日本に所縁のあるこの北米、シアトルの街では
日本の分化そのものや、かつて栄えた日系人コミュニティに関する出来事などが多く、
この桜祭りでは、様々な出店や展示、催し物を通じてそれらへの理解を深めることが出来ます。
日本人留学生として、海外からみた日本の印象はどういったものなのか、
とても興味があったので、ノアと二人で行ってきました。
開催場所は、シアトルで最も有名な観光の名所「スペースニードル」の真横に在る、シアトルセンター内で行われます。(東京でいう、東京タワー周辺のシアトル版です)
最も手軽な行き方は、市の中心部に在るショッピング街
「ウェストレイク」から「シアトルセンター」行のモノレールに乗ることです。
モノレールは片道5ドル、約3分の乗車でビルの間を潜り抜けていきます。
僕とノアはウェストレイク駅からシアトルセンターまで、20分歩くことで5ドルを浮かせました。
「祭り」とは呼ばれているもの、開催場所に近づいても大きな太鼓が鳴り響くわけでもありませんし、特別目立った様子はありません。
しかし、建物内に入るとそこには、
日本の文化を象徴する伝統芸能や、芸術に関わる出店や展示物が多数!
それに加えて、戦前に起きた日系人の悲しい過去などを伝承することにも力を入れている様子。
ワシントン州の土地へ足を踏み入れるまで、その様な過去があったとは全く知りませんでしたが、
街を歩いていると日系だと思われる人とすれ違ったり、
日本を思わせるような建物、お店、街の雰囲気が多くみられます。
中でも現在のチャイナタウン、その横には旧日本街の面影が残っており、
当時の着物屋さん、居酒屋、ホテル、そして神社など色々なものを見ることが出きます。
その様な郷愁の想いに浸っていると、懐かしい匂いが漂ってきた。
食べ物ではありません。 お線香でもありません。
そう、「墨」の香りです。
硯に向かい、擦る度に深まる心落ち着く優雅な香り。
幼少期、書道教室で一緒に通っていた姉に虐められながらも、
その墨の香り、半紙に筆が走る快感、当時僕に指導してくれていたおばあちゃんが大好きで、
へこたれることなく小学一年生から高校一年生まで通っていました。(夜の部活動が始まり、忙しく通うことが出来なくなってしまいました。)
約十年続けていた書道でしたが、心のどこかで「悔い」なのか、「寂しさ」なのかは分かりませんが、濁った心残りが有ったのは確かです。
そして留学が始まり1か月後の今、太平洋を越えたこの北米シアトルの街で、
「書道」を目の前にしています。
何もない零の状態から約20年、シアトル(レドモンド市)を始め、
今現在(2020)では、西海岸の町々「オレゴン州ポートランド市」「カリフォルニア州ロサンゼルス市」でも教室を構え、
東京、浅草橋でも定期的に教室を開いており、とても多くの生徒たちが明藤書道会を通じて「書」に真剣に向き合っています。
桜祭りにブースを構えていた明藤書道会の皆さんは、
来場者に書道を体験して頂けるよう、机に座り文字を書くための書道の道具が置かれており、向かい側には書道教室の生徒らしき人たちが座っている。
どうやら、書道の道具の説明、書道をするときの姿勢や構え、これから書く文字の画数や意味などを来場する一人一人に丁寧に教えているようだ。
仮に僕がそれに座ると、「10年間習っていた」という先入観と「自分は日本人」という妙な自信が邪魔をしてしまうので、
初心者、ノアが体験をすることに。
書いた文字は「心」。
画数は少ないながらも、バランスを取るのがとても難しい漢字。
綺麗に書くというよりも、体験に来たその人自身の「心」が文字に出るような、
そんな視覚的芸術性を越えた、意識を整える体験が可能な空間になっていたと感じます。
ノアも、普段はサラサラと筆記体の英語をとてつもない速さで書き綴っているが、
一画一点、ゆっくりと心を込めて書いていました。
書き終わったあと、どこか清々しい様子の彼。
文字の力は凄いと改めて感じます。
そんな様子を見ていた僕は、
黙って見ていると落ち着かず、明藤書道会の代表の方と思われるご夫妻にいきなり声をかけ、気づいた時にはもう
「書道を習わせてください」
と口から切実な思いが溢れていました。(後に振り返ると、めちゃくちゃ失礼。)
ご夫妻の、旦那様の方から明藤書道会、そして藤井良泰-Master Yoshiyasu Fujii-と書かれた名刺を頂き、
家に帰り速攻メール。
「今朝、突然話しかけてしまったものですが、次の教室はいつでしょうか。通わせて頂きたいです。」
この様な一方的な内容のメールを送っていました。
「それでは、今週土曜日の午前10時、体験に来てください。」
この返事を頂いた時には既に入会を決めていたので、体験をしに行くという感覚はあまりなかったのですが、
その週の土曜日の朝、告げられたた通りの時刻に、頂いた住所を訪れる。
どうやら拠点はここシアトル、藤井先生方のご自宅で教室を開いているようで、
玄関の扉を開けた瞬間に香る墨の香りに蕩けてしまいそうであった。
お邪魔した書道教室では、およそ5年ぶりに筆を握らせて頂きました。
上手に書けたかどうかは別として、
幼い頃から習っていた書道、
手が自然と動く。いわゆる「マッスルメモリー」というもの。
手首は相変わらずガチガチに固まっているけれど、
背筋や、机との距離感、そして書に向き合う姿勢は以前と変わらず真剣です。
教室内の雰囲気は、以前通っていた教室の時より少し緊張するけれど、
それは日本を離れたこの土地での日常生活には感じることのない感覚で、
とても有難く、半紙と筆が擦れる音の聞こえるまでに静まった教室は心地がいい。
二度書きをする度、姉と姉の友達に永遠と揶揄われ続けた以前の教室内の出来事は
この場所では決して起こることはないだろうという希望を感じる。
「体験」を一通り終え、明藤書道会への入会を正式に決定。
と同時に来週のお稽古に向けての、「宿題」を課せられました。
家で書道をするのは滅多にありません。書初めくらいだろうか。
初めての書道の宿題、緊張が走ります。
そして、藤井先生が目の前で今回の課題となる文字をさらりと書く。
...
その瞬間的に起こった出来事に頭が追い付かない。
1つ覚えていることは、
「この人に付いて行きたい」
直感的にそう感じたこと。
流れるような筆、半紙の上、白黒の空間を支配する。
先生の洗練された技術が、明々白々。
これは、とんでもない所に来てしまったようだ。
今までに見たことのない様な、大胆かつ繊細、とても美しい書道。
まさか、日本を離れてすぐ、ここに辿り着くとは。
まるで導かれるかの様に、ここに来たという認識。
桜祭りを通じての素敵な「縁」に感謝を抱きます。
これから、気合いを入れて再び「書」に向き合おう。
そう感じた麗春の候でありました。
北米のハウスパーティがヒッピー過ぎた。
2017/04/22
匠です。
いきなりですが皆さん、
"ハウスパーティ"
と聞くとどの様なものが頭に浮かびますか?
僕は正直、パーティは家の中ではなく、
外で場所を借りたり、食事をケータリングなどして、
大々的に行うものだと勝手に思い込んでいたので、
家で行うものだとは思ってもいませんでした。
"ハウス"内での"パーティ"なので、
日本でいう所の、親戚のおじちゃんなど集まりみんなで長テーブルを囲い、
お寿司とか一升瓶を飲んだりする、新年会の様なものなのかな?
それとも、同じマンションにすむご近所さん達と
家の庭に集まり、自家製の食べ物を持ち寄ったり、
母親、父親同士が日頃の鬱憤を聴いて同情し合ったり、
何故ここにいるかも分からず子どもたちは僕の愛犬ルーシィと狂喜乱舞したり...
その様な、のほほんとした映像が、頭に流れます。
しかし!
今夜誘われたハウスパーティは、寝起きで伺えるようなものではない。
ある程度「今夜は弾けるぞ」、と意気込んで向かわないと
少し参ってしまうような、迫力満点のものでした。
そんな、僕の初めての米国でのハウスパーティの様子を書き下ろします。
4月22日 土曜日
大学で知り合ったマレーシア人の友人、シャム君から連絡が。
「今夜、ハウスパーティでライブをするので来ないか?」
彼のインド太鼓(タブラ)が凄いと噂には聞いていたが、
まさかハウスパーティでそれを聴くことになるとは思ってもいなかった。
答えはもちろんYES。ノアとアブドゥル、この前カラオケバーに一緒に行ったサム、そして留学先が同じくワシントン州だった友人のシノちゃんと5人で向かうことに。
エバレット市を出発したのは夜6時頃。
少し北のアーリントンという街で韓国料理屋を営むサムの実家に少し立ち寄り、腹ごしらえをしたところで更に北に在るヒッピータウン「ベイリンハム」へ向かう。
エバレットからは車で約一時間半、用事がない限り、滅多にそこを訪れることはありません。
シャムから送られた住所が近づいてきた。
その頃午後8時近くになっており、街灯1つない道が続く。
目的地が近づいてきたので、車の窓を開けると、
人なのか、甲高い叫び声が聞こえてきた。
「これは恐ろしい夜になりそうだ」
わくわくと、不安が背中を煽る。
明らかに車が多く停められた一軒家を見つけたので、
僕らも他の車同様にそこへ停める。
もちろん、シャム以外に知り合いはいない。
車の周囲、駐車場内を走り回る大学生たち。
「まずい、かこまれた」
そんな状況にも関わらず、アブドゥルは外へ出て
「あー、腰いたっ」
と背伸び。
ノアも続けて外へ出て、既に外の輩たちと挨拶を交わしている。
そうか、導入が大事だ。と続けて僕、シノ、そしてサムも外へ出る。
僕らもたじたじに挨拶を交わしつつ、その場しのぎの会話を重ねていると、
「お~よく来たね~」とシャムくんが現れた。
彼、完全に目がいってる。既に何本か吸っているのだろう。
そういえば、車を出るなり、大麻のにおいが家の周囲全域に立ち込めていた。
「そうか、こういうパーティか」
僕は、その時察しがついて覚悟を決めていたが、
その頃アブドゥルは
「無料で吸えてラッキー」
と言わんばかりに、その場の人らに吸わせもらい始めている。
ノアは吸わない、僕も、サムも吸わない。
シノちゃんについては分からない。
ので、とりあえずそろそろ始まるらしいライブ会場へ向かう。
その会場は、四角い箱の様な形で...なんとシャッターを開けるとそれは、車庫であった。
空いた車庫の中が木で打ち付けられていて、ステージも設置されている。
ちらつく電球の飾りも散りばめられており、
それに照らされる人の横顔が酒のせいか、より火照って見える。
人と人との距離が近く、既に皆ハイな様子。
僕も端っこにあったソファに座って一緒に来た他の四人と寛いでいると、
イケイケのバンドメンバーらしき人が車庫にぞろぞろ入って来た。
会場入り、盛大な喝采が浴びせられる。
どうやら、パーティ参加者のほぼ全員はこのバンドを知っているらしい。
よく見ると、シャムがステージの前の方に座っている。
人混みの壁に隠れて見えなかったが、インドの太鼓と一緒に座っている。
車庫の中の装飾の光が一気に強まった。眩しい。
ドラムのダダッという合図で他のギター、ベース、キーボードが一気に演奏を始める。
チューニングなどはない。ボーカルがいるから、それと演奏に合わせていく様だ。
それにしても、曲の雰囲気が、ファンクなのか、R&Bなのか、またはソウルなのか分からない。
ピヨーンとうねる様な音のギターとベース、それにホワホワした音を出すキーボード。
対して、パンチの効いたボーカルのラップとドラムの律動。
インディーバンドなのだろうが、今までに聞いたことのないようなメロディー。
その時の様子がこちら。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 26, 2020
初めて参加した北米のハウスパーティがヒッピー過ぎた時の様子です。https://t.co/WiZ3A5F7Hz pic.twitter.com/wvusQVBsIj
後から彼らに訪ねると、
彼らはその音楽の範疇を"パンチファンク"と呼んでいた。
力強いけど、心地のいい音の繋がり。
これは、お酒が入るとやばそうだ。と構えていると
自分の手にはいつの間にか、現地の格安カクテル、"Mike's" が握られていた。
酒も回り、音が体の深部まで響いてくる。
気付くと僕は、人混みの最前列に肩を並べ、
最後の曲が終わるまで、隣同士の人たちと肩をぶつけ合った。
ドラムソロ中、彼の周りの電飾を腕と体に巻き込みつつ演奏を続ける様子は、今でも忘れられない。
↓バンド "Bunk Foss" のドラムソロの様子
気付くと、セットリストに在った曲がすべて終わり、ひと段落着いた様だ。
・・・あれ?
シャムが演奏していない。
彼に誘われてきたのに、彼のインド太鼓、タブラの音色をまだ聴いていない。
バンドは車庫の出口へ歩き始めるが、シャムはステージに残っている。
「どういうことだ?」
動揺している僕には関係なく、観客の拍手は鳴り止まない。
僕も形振り構わずその拍手に加わり、しばらく待っていると、
このアンコールに応じたバンドメンバーが戻ってきてボーカルがマイクに向かって一言、
「今日は俺の大切な友人が来てくれた」
「もう一曲、ここに座っている彼、シャムと」
それを聞いて僕はここでようやく理解した。
「彼はスペシャルゲストだったのか」
「誘い方からして、自分もバンドの一員の様に言っていたじゃないか」
そんな愚考を頭に巡らせている僕には構わず、
シャムのソロから曲が始まった。
なんだこの音は。
踊り狂っていた観客も、目を丸くしつつ、
口角が上げられた口をそのままに、彼を見つめる。
タージマハールの迷宮に迷い込んだ様な、
異邦人を彷彿とさせるゆらゆらした太鼓の音が車庫内に響き渡る。
二つある太鼓にそれぞれ五本の指が置かれ、
不規則にその指が波打ち、細かく連続して鳴る突発音が一くくりに縫い付けられ滑らかな音の羅列を生み出す。
表現し難い音だが、それはこの下にある動画を見てほしい。
シャムのドラムソロ(インド太鼓"タブラ") pic.twitter.com/qMrvWvQZBs
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 26, 2020
彼のソロが終わり、数秒沈黙が続いた。
今日一番の歓声と拍手が巻き起こり、それに合わせてバンドメンバー全員が同時に演奏を始めた。
彼の太鼓の音が他の楽器の音に少し掻き消されてしまっていたのが少し残念だが、
彼の一曲にして観客全体の一体感を生み出す力には驚いた。
曲が終わり、車庫を埋め尽くしていた踊り狂う人々がまるで
「やり切った、これで満足」という様な項垂れた様子で、
車庫の隣にある、主催者の家だろうか、3階建ての一軒家にぞろぞろと歩みを進め始めていた。
その横で僕とノアは、演奏中最前列で彼を直視していたので興奮状態。
まるで有名人に出逢ったかのようにステージの上で記念撮影をお願いしていた。
人の隠された一面を見るだけで、こんなにも印象が変わってしまう。
という印象が
「指の魔術師タブラーマスター」
へと変わっていた。
演奏後、駐車場で彼がアブドゥルと大量に大麻を吸っているのを見ると、
ああ、これがアーティストのオンオフか、
と納得がいってしまった。
ひと段落着き、車庫内また同じソファーに座って寛ぐが、
一緒に来た他の四人もお酒が入り、興奮が冷め止まない様子。
車庫の横、一軒家の方には向かわず(知り合いがいないので)
車庫内に残る。他にも何人かいる。
その内の一人、だいぶハイになっている男性が
車庫内の物置スペースにあったドラムを見つけ叩き出す。
その周りの連中も、そこらに落ちている廃材を叩いて後に続く。
リズムが生まれてきた。
ノアも持参のギターを持って、輪に入る。
一人、インディアンの長い管楽器、太く深い音のなる楽器を持参しており、
それを息一杯に吹き鳴らす。
色々な音が更に加わっていき、僕も興奮してカメラを回す。
その時の様子がこちら。
ライブ後のドラムサークル pic.twitter.com/c9Drn0Jp1j
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 26, 2020
腰を低く、揺れない様にカメラを回していると、
隣から40代くらいのおじさんが声をかけてきた。
「元気ですかー」
日本語で声をかけてきた。 それにとても大きく荒げた声で。
どうやら、僕の容姿から日本人だと判断し、話しかけてきたようだ。
そんな彼の名はマイケル。
昔、沖縄の米軍基地に数年滞在しており、その時本当にいい経験をしたようで、
彼が基地に滞在していた当時流行っていた中島みゆきの「糸」?を日本語で歌ってくれた。
他にも懐かしいメロディーを含んだ、歌謡曲風の曲をいくつか披露してくれたが、
僕は知らなかった。
こうして、
人生初めてのアメリカン?なハウスパーティが終わった。
文化的違いからも色々と衝撃的な経験が多かったけれど、
一体感の中に見られる個性が輝きそれをその場の全員が噛みしめるかの様な、
瞬間に身を投じるその姿勢がとても居心地が良かった。
数時間、体を揺らしながら音楽を聴いたのはいつぶりだろうか。
足がパンパンだ、帰ったら軽く汗を流して、よく寝よう。
酋長ディミトリアス
2017/04/21
匠です。
今夜もまた、屋根裏部屋では弦が弾けています。
「今夜、みんなで親子丼を食べるよ」
とノアから連絡があったので、
アブドゥルと、彼の悪友アレックスと3人でノアの家へ向かうことに。
彼の家に着くと、他にも誰か来ている様子。
中でも特に目立っていたのは、
黒い長髪に鷹の羽が添えられたカウボーイハット、
ハワイで育ったフィリピン系の彼、ディミトリアスです。
後で馴れ初めについてノアに話を聴くと、
ある日、ノアが外でいつも通り散歩をしていると、
木の下でディミトリアスがギターを弾いていて、
瞬間的に彼らはジャミングし始め、意気投合。
それから暫く経った今もこうして家で集まり夜な夜な一緒にギターを弾くようです。
ディミトリアスが連れてきていた友人ジェイもギターを弾くらしい。
彼ら二人は、もう少し南に降りたところにある別のカレッジで学生をしているので、
僕みたいに放課後ノアと頻繁に逢うことはないけど、
週末に夜ご飯、音楽の時間を共有するみたい。
他に二人、レイとコリーンという謎の二人組もいたけれど、
名前を伝え合ったくらいで、あまり会話はしなかった。
ディミトリアスの外見パンチが強すぎて、僕も色々聴いてしまう。
何故カウボーイハットなのか、
その長髪はどれ位伸ばし続けているのか、
かすかに香るそのエッセンシャルオイルはなんだ、とか
彼も少し困っていました。笑
僕が日本から来たと分かると彼は、
「こんにちは、はじめまして」
と急に日本語を披露。
それに、発音がかなり日本人の自然なものに近い。
ハワイ育ちも関係しているのかな、と思ったが、
他にも中国語、スペイン語、そしてハワイの原住民の言葉を巧みに操る。
以下の動画は、僕が彼にリクエストした Yes の「Roundabout」の導入部です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 23, 2020
新たなヒッピーギタリストとの出逢いです。https://t.co/WuGBeix4vI pic.twitter.com/6eUIhIqmh2
こうした言語学習の壁の1つ「発音」について、
僕はいつも「舌の筋肉」を理由に発音は難しいと言い訳するけど、今日は面白い事を聴いた。
英語話者が日本語を話す時、既に発達した筋肉を柔らかくして、数少ないたった5つの母音の音を探し当てるのがとてつもなく難しいらしい。(日本の母音は"アイウエオ"5つなのに対して、英語は"ア"だけでも、"ӕ"とか"ʌ"、"ə"とか様々で、母音は主要なものだけで16個。)
そんな対照的な2つの言語だけど、共通して言えることは「音を探してる」ということ。
ディミトリアスは12年間ギターを弾き続けている。
そんな「音を探しあてるプロ」は"英語"はもちろん、"フィリピン語"、"ハワイ語"、"中国語"、そして少しの"日本語"の5つの言語を流暢に話す。
その証明し難い説は、ノアにも見られる。
音に繊細な彼もまた、日本語のみでなく、何とドイツ語も日常会話程度であれば出来るそうだ。
異文化交流をする際「言語」ではなく「音」に意識を向けると、また違う感覚で楽しめそう。
音で会話する彼らと日々過ごすと、小さい時に僕もしておけば、って少し後悔する。
悔しいから、たまにボンゴで参戦
米国でのカラオケ&バー
2017/04/21
匠です。
今夜は金曜日。
ということで、最近加わった日本語クラブの学生達と共に、
市内のゲームバーに行ってきました。
その名も 「AFK Tavern」
"Tavern" は俗にゆう"酒場"の事ですが、
それでは "AFK" とはなんでしょうか。
IT用語辞典によると、
AFKとは"Away From Keyboard" の略語で、チャットやオンラインゲームなどで用いられる俗語の一つ。「離席する」「離席中」の意。*1
ですので、ログイン状態を維持したままの人が集まる酒場のようです。笑
(僕はこう見えて、小学4年生から中学卒業頃まで、メイプルストーリーやハンゲームのチョコットランドなどにハマっていたので、ゲームは嫌いではありません。中学を卒業後、ゲームを買うことはなくなりましたが。)
その名の通り、バーの中には多くのゲーム機やパソコン、カードゲーム等が置かれていて、
訪れた客は自由にそれらを利用することが出来ます。
金曜日から日曜日の夜9時頃からは、バー内にある共有のカラオケを楽しむことも出来ます。
日本の様に個室の中で知り合いのみで楽しむスタイルとは異なり、そこにいる人皆でその空間を共有。
まだ経験は浅いですが、所謂 "スナック" と呼ばれるところに多く見られる光景でしょうか?
人生相談に乗ってくれるママはいないので、そこが唯一異なる点かな。
僕らは夜7時頃からバーに入り、トランプ(ゴーフィッシュ)やパソコンゲーム(ストリートファイター)、テレビゲーム(マリオカート)等で楽しみ、
夜9時からのカラオケに参加しました。(聴き手
その時の様子が以下の動画です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 21, 2020
米国でのカラオケ&バーの様子です。https://t.co/zp34zw2ECp pic.twitter.com/k8ZsD3uP6G
如何でしょうか。
とても、初対面とは思えない人たちの一体感。
甲高い声のおじいちゃんは、カラオケ機を操るDJです。
主催者側も好きに歌い、これも仕事に含まれる。楽しそうですね。
恐らく、参加していた多くの人は毎週の様にそこを訪れると思われます。
常連客を多く持つ小さなお店は、本当にパワフルなコミュニティを見せてくれます。
僕は当時20歳でしたので、米国での法律上お酒は飲めませんでしたが、
「ここから先21歳未満立ち入り禁止」
というサインの真横の席に座って音楽を楽しみました。
正直なところ、一緒にバーを訪れた人は30歳前後の多かったので、紛れ込むことは難しくありませんでした。
いつの間にか、手元にはローカルビール「マッケンジャック」が握られていて、
お酒が入り立ち入り禁止区域にも入り込んでしまいます。
その様な僕を見ても見過ごす規制の緩さも、
田舎エバレット市ならではの寛容性だと捉えます。都合がいいですね。笑
今日は家の外でお酒を飲んだ初めての夜。
よく1ヶ月我慢したな、と自分を称える意識は2杯目のマッケンジャックへと伸びていました。
散歩(上級編)
2017/04/18
匠です。
また散歩かよ、
そう思われたかもしれませんが、
前回はカメラを回す余裕もなかったので、
今回はその状況、臨場感を味わえるような動画を用意いたしました。
約2分間ですが、
【茂み】→【ハーブ】→【音楽】→【音楽+猫】
で構成されています。
お楽しみください。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) March 22, 2020
「またかよ」と思われるかもしれませんが、
前回はカメラを回す余裕もなかったので、
今回はその状況、臨場感を味わえるような動画を用意いたしました。
約2分間、
【茂み】→【ハーブ】→【音楽】→【音楽+猫】
で構成されています。https://t.co/pZhdch2vqd pic.twitter.com/40deSMc4H2
身体を引っ掻く刺々しい茂みを掻き分け、
行き着いた先に広がる夕陽と広大な水面。
それに加えて、
音楽と友人、そして北米原住民御用達の薬草ハーブ
"Sage"
険しい道を進む理由が、そこにはあります。
言葉より早く伝わると思うので、
以下、一コマずつ切り取った写真を貼っておきます。
あれ、勉強しに来た筈なのに、
放課後の散歩が日課になりつつあるよ。