【アメリカ横断】第3話~SF観光編~

2017/06/24

 

匠です。

 

宿も見つかり、荷物を置きやっと安心して観光を始めることができる。

 

今回僕が一日で訪れた観光地は以下3か所

 

1 ゴールデンゲートブリッジ&アルカトラズ島

2 ロンバートストリート

3 コイットタワー

 

 

時間も限られていたので、今回旅行中目に留まったこの3か所を訪れることに。

※今回の横断旅では、訪問地の事前リサーチなどを一切行っていません。

 

1 ゴールデンゲートブリッジ&アルカトラズ島

 

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出典: https://www.flickr.com/photos/jitze1942/5189324796

 

 

 

脱出不可能!監獄、アルカトラズ島&自殺者多きゴールデンゲートブリッジ。

 

音声案内付きのクルージング。

 

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船内はガラガラ

 

船に乗り込みいざ出発という所で、自分のヘッドホンだけ不調。

 

今回の旅はツクヅク電子機器に弄ばれています。

 

何とか立ち直し、第二次世界対戦時の船々を横目に先にブリッジへ。

 

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建設不可能と言われていたのも納得のいく長さと迫力。

 

上の方は霧に覆われて見えませんでした…


あそこから飛び降りる人が後を絶たないのだとか。映画「ブリッジ」のモチーフ。

 

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渡り鳥が橋の下を潜り、パラグライダーが船を追いかける。

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禍々しい①




 

アルカトラズ島は、霧の中から急に現れます!

 

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禍々しい②

 

岩で作られたこの島は、映画「ザ・ロック」で有名。

 

上陸したかったけど、予約は2ヶ月先まで。

 

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独房が灯台の1番上にあり、成人男性1人が両手足を広げるのにやっとの大きさ。気が狂いそうだ。

 

監獄としての島が終わり、土地が放棄された後、インディアンとポリティシャンが遺した落書きが印象的です。

 

監視の家族達もロックの上で暮らしていたので、アルカトラズで育った子どもも何人かいるそう、

 

過去36人が脱出を試みて、成功は3人。


キッチンスプーンを使って脱獄したモリスとアングリン兄弟。


平均水温13度のサンフラの海を3キロ泳ぎきれたかは不明で、彼らは未だ見つかっていません!

 

皮肉にも、トライアスロンの水泳競技が行われることもあるらしい!面白い!

 

更に詳しい情報については以下の記事をぜひご参考に!

 

tabinaka.co.jp

 

2 ロンバートストリート

 

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見えるかな?蛇の様にうねる坂道

 

ロンバート・ストリート。

ロシアン・ヒルのハイド・ストリートから丘の下にあるリーベンワース・ストリートへと下る道、400mほどの坂道の間に8ヶ所もの急カーブ。


世界一曲がりくねった坂道と呼ばれるこの坂道。

 

記念にと、多くの車やスケーターがこの坂道を下っていました。

 

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坂の上からの景色もいいね

にしても、サンフランシスコの街は坂道が多い。

 

今回の旅はほぼ徒歩なので、一日が終わる頃には足がパンパン。

 

行き先も決めず歩き続けるからこそ、こうした少し変わった道を見つけることも出来たのだけどね。

 

More details on the link below

 

rtrp.jp

 

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3 コイットタワー

 

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佇まいが美しい

この塔は、サンフランシスコの街を歩き回ると必ず目に入るかと思います。

 

実際にここへ向かう人は多いのかどうかは分からないけれど、

 

「塔」や「シンボル」と成り得る街中にある建造物には

 

必ずといっていいほど、歴史的背景があるもの。

 

今回訪れたコイットタワーの一回ロビーの壁にも、「世界恐慌」に関する歴史が遺っていました。

 

約80年前、世界中のアーティスト約20名がここに集まり、当時の様子を壁に遺したそう。

 

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壁画は、中世のルネッサンス期に盛んに用いられた「フレスコ」という技法によるもの。カリフォルニアの産業、サンフランシスコ市民のひとコマ、デパート、港の様子などが描かれている。



 

しかし、コイトタワーが建てられた経緯は「私が愛し続けたこの街を、より美しくするために」と言い残したリリー・ヒッチコック・コイト Lillie Hichcock Coitの遺産12万5000ドルによるものだそう。

 

旅人御用達の旅情報サイト「地球の歩き方」では

 

完成は1933年。1906年の大地震で発生した火災に立ち向かった消防士をたたえて、消火ホースのノズルの形をイメージしてデザインされたといわれるが、設計者にはそんなつもりはなかったようだ。限られた予算で、狭い敷地に記念碑を造るためにシンプルな円柱状のデザインを考えたのだ。丘の上でも不安定な印象を与えないために、実際は完全な円柱ではなく、頂上部の直径は一番下の部分と比べると約50cmほど小さい。
エレベーターと階段で頂上の展望台へ。小さな窓から外をのぞくかたちで視界は広くないが、サンフランシスコの美しい景色を見渡せる。特にトランスアメリカのビルは大迫力だ。

 

と説明されている。

 

約10ドルの入場料を支払い、頂上へ登るエレベーターへ乗り込む。

 

頂上部から1つ下の階にエレベーターが停まり、

 

そこから10歩ほど階段で上に登る。

 

そして目の前に現れる展望台

 

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なぜかフィレンツェ舞台の小説「冷静と情熱の間」を想わせる

 

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頂上からの景色、有名なビルらしい

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観光客が餌をやるのだろう、カモメが展望台周辺をゆっくりと飛んでいる。

 

 

 本当であれば、ベイサイドエリアの魚介グルメや、

 

郊外にあるブドウ畑でワインを堪能するのが、

 

サンフランシスコの旅行の醍醐味なのだろうなあ。

 

しかし、貧乏大学生の僕は限られた時間の中で

 

如何に安く効率的に多くの人に出逢い色々なものを見て回れるか

 

時間との戦いです。

 

 

明日でサンフランシスコ最終日、

 

カウチサーフィンというアプリを介して知り合った

 

フィリピン人のナラさんと合流して、

 

プライドパレードを観に行きます。

 

 

 

 

【アメリカ横断】第2話~アフマドさん~

2017/06/23

 

匠です。

 

「あーやっちまった」


これがノープランの面倒臭さ。予想を上回る程度な田舎で、周りにホテルも見当たらない。


しかし!サンフランシスコ行きのバスを発見。


チケットを購入しようと試みたけれど、スタッフが朝飯休憩中で購入出来ず。


正直にバス員さんにそれを伝えると、なんとタダで乗せてくれました。


乗り込むと隣の席にカールさん、


「I can’t stay away from you man」と一言。


サンフランシスコダウンタウンまで再び共に。

 

途中、世界一有名な監獄、アルカトラズの島が見えたので行くことに決めました。


カールさんには動物園をめちゃくちゃ勧められたけど、今回はパス・・・

 

 

 

バスは、大海原を跨る巨大な鉄筋橋の上を走行中。

 

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サンフランシスコの街が見えてきた

街に入り組み聳え立つビル達の間を潜り抜ける様に道路が繋がっていて、

 

一種のアトラクションでありました。

 

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真横にビル

 

さて

 

街に着き、まず初めにすること。宿探し。


実は事前に格安ホテル予約アプリAgodaを利用し、

「Music Inn」という安めのドミトリーを発見、事前予約していました。


朝10時頃にはそこに着いていたけれど、午後3時からしかチェックイン出来ないと言われ、周辺散策&ロビー居候。行きのバスから見えたアルカトラズ島へのツアー予約。

 

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残念ながら、アルカトラズ島ツアーは今週末まで予約一杯

 

悔しいので、アルカトラズ島近くまで行けるゴールデンゲートブリッジクルーズ船ツアーを代わりに予約。

 

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2016年春、カンボジア周遊中にもお世話になったツアー予約サイトVeltra

 

ツアー予約完了はしたものの、その直後2つの異常発生。

 

1 カメラのシャッターが切れない。フォーカスも合わせられない。
2 予約したMusic Innの部屋が女性専用。宿泊不可能。


初日にこの仕打ち。とりあえず、近くのカメラ屋さんへ向かいます。

カメラヘブンという見るからに怪しい近くのカメラショップへ。


修理不可と言われ壊れた18-55と55-200のレンズを売り、18-135を購入。
いちいちレンズを切り替える悩みが解決。満足。

 

カメラショップを出て、新しい宿「Hotel Sutter Larkin」を見つけ、中に。

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中東系の言葉かな?

フロント無し。階段上り切り「ニホンジンデショ?」という声。

怪しいオーナーと遭遇。


「なぜ日本語を話せるの?」


話を聴くと、過去15年間、日本に住んでいたらしいです。

 

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パキスタン出身のアフマドさん


自国が危なく日本が好景気の頃、覚悟を決め、家族のため日本へ。

鳶職として高層ビルや吊り橋での建設作業をしていたようです。

 

何か運命を感じここに泊まることに。


通常料金の30%引きで案内してくれました。

 

次回はサンフランシスコ市内観光編です。

 

【アメリカ横断】第1話~旅立ちの日編~

2017/06/22

 

匠です。

 

「初日から乗り遅れたら、全てが台無しだ」

 

という不安から、出発前夜は中々眠れませんでした、

 

というか寝ませんでした。

 

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夜中、書道教室の課題を続け寝落ちを回避。

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地図を見て、点と線を書き込み計画を再確認

 

朝9時半頃、シアトルのキング駅発のアムトラック列車に乗らなくてはならないので、

 

朝5時頃家を出て、エバレット駅からバスでシアトルへ。

 

幸運な事に、エバレット駅から列車乗り場近くのチャイナタウンに在るバス停は

 

「始発駅」と「終着駅」なので途中寝過ごす心配はない。(着いたら無理やり起こされる)

 

昨晩は一睡もしていないので、バス車内で爆睡。

 

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チャイナタウンに到着

 

チャイナタウンから歩いて1分程、真横に在るキング駅へ向かう。

 

駅構内に入ると、多くの荷物を抱えた人々が待合室で項垂れている。

 

どうやら、長い間乗車する列車を待ち続けている様だ。

 

バスもそうだったけれど、米国内の交通機関はよく遅延する。

 

計画通りに進んだことなど一度もない。

 

特に列車は大幅に遅れることが普通の様だ。

 

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駅構内アナウンスではなく、ただ電子版で通知...気付くのか?

 

 

幸運にも、僕の列車は定刻発車

 

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乗車券の確認、意外にも手動マニュアル(今はQRコードやEチケットが主流?)

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これがチケット...名前と列車名、発車時刻が一致していれば乗れる気軽さ



さて、日本でも恐らく乗ったことがない長距離列車。

 

しかも約23時間の乗車。

 

リクライニングのシートではあるものの、

 

流石に約丸一日椅子に座るのは厳しい。

 

そんな長くジワジワと過酷な旅の初めての相席は彼

 

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カールさん(左)

 

薬物犯罪ドラマ「ブレイキングバッド」で御馴染み、

 

ニューメキシコ州アルバーカーキから、シアトル市内に住む甥を訪れていたそう。

 

僕が写真内で手に持っている帽子の刺繍は、

 

アメリカ60年代のロックバンド「グレイトフルデッド」のもっとも有名なロゴ「スティール・ユア・フェイス・スカル」です。

 

エバレットで出逢った友人ノアが最も尊敬するバンドのひとつで、

 

彼とひとつ屋根の下共に暮らし始めて以来、僕も彼の影響でずっと聴いている音楽。

 

それを初めての相席カールさんが手にしているなんて、不思議なご縁です。

 

 

 

隣に座ったカールさん。日本の福島原発事故のことを知っていました。


過去15年間原子力関係の仕事をしていて、今はホームレスだそう。

 

プルトニウムの半滅期が24000年だということを教えてもらいました。


長いから危険だということには繋がらないけれど、こういった知識を知らないところで

 

「同情」は「非情」だと告げられました。


「誰も傷つけない”理解”から入れ」

 

そんな彼の言葉を浴びていながら


原子力関連の職に就いたきっかけを聴き忘れてしまいました。

 

 

そんな自戒の念を抱いている僕には、容赦のない睡魔が襲い掛かり就寝。

 

_______

 

一体、何時間経ったのだろうか。

 

窓の外の景色が異国の様だ!

 

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カラッと乾燥した大地にボサっと生えている木々は、明らかに北米のそれらとは異なる。

 

少し寝違え固くなった関節を延ばし、重い腰を持ちあげてやり休憩用車両へと向かう。

 

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多くの人がここで食事やら読書を壮大な景色と共に愉しむ様だ。

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僕も持参した本、「三四郎夏目漱石)」と1ドルコーヒーを愉しむ。

 

景色が美しいからだろうか、列車はのんびりと進んでいる様だ。

 

まあ、焦ることもないのでゆっくりとした時間を噛みしめよう。

 

そんな列車内のゆったり流れる様子が以下の動画です。

 

 

 

 

そうしているうちにまたしても寝落ちてしまう。

 

今度は休憩室のテーブルで。

 

授業中、居眠りをする中学生の様な状態。

 

___

 

 

目を覚ますと、外の景色が少しではあるがまた違っていることに気付く。

 

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湿地が続く

カラっとした大地から、ヌメっとした湿地に変わった。

 

これもまたずーーーっと続く一定の景色。

 

グーグルのGPSを開くと、もうカリフォルニア州に入ろうかという所!

 

目が覚めてよかった。笑

 

次駅、エミリービル駅が近づいている様だ。

 

さあ、初めてのカリフォルニア州

 

何を見せてくれるのか、楽しみだ!

【アメリカ横断】第0話~チケット予約編~

2017/06/14
 
匠です
 
横断旅最大の敵は「計画」でした。
 

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平日、水曜日の放課後、エバレット駅へ。
 
アメリカ横断旅の出発点です。
 
駅構内には、鉄道会社アムトラックと、
 
長距離バス会社グレイハウンドの2社の窓口が設置されており、
 
今回はアムトラックで西はシアトルから、
 
東はニューヨークまで横断する鉄道に乗る為のチケットを購入します。
 
そのチケットというのが、周遊券の様なもので、
 
15日、30日、45日と期間を選べる様です。(2017年現在)
 
 
それぞれの周遊券を利用して訪問できる駅の数は、
 
乗車期間の短いものから順に、9, 12, そして15駅となっており、
 
値段は約400, 600, 800ドル程度。
 
 
僕は30日、約1ヶ月の周遊券を購入し12駅(州)を2, 3 日ずつ訪問する事に。
 
 
この周遊券を予約する際、最も手こずった事は何と言っても
 
「計画」
 
というのも、周遊券を購入する際、
 
「どの駅で何日の何時に乗車するのか」
 
を事前に決めなければならなかったのです。
 
 
まさか、行き当たりばったりの旅を頭に描いていた僕は、
 
どこにいつ行く何てことは全く考えてもいなかったので、
 
エバレット駅のアムトラック窓口で約2時間かけて全ての予定を立てました。
 
 
しかし、その予約を立てる過程で1つ困難が...
 
ある駅と駅を繋ぐ路線を走る列車が既に予約満席であったのです。
 
確か、シカゴからボストンだったかな?
 
シカゴはアメリカ大陸のど真ん中。
 
ここから東へ迎う便が全て売り切れていたのです。
 
そこでどうこの難関を乗り越えたか、
 
そこは流石旅行会社同士、
 
隣り合っていたアムトラックの担当とグレイハウンドの担当者が相談し始めたのです。
 

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アムトラック(左)とグレイハウンド(右)、ご近所さん。
 
アムトラック「この子、シカゴから東へ行きたいみたいなんだけど、もう全て予約一杯なのよ…バスどこか通ってない?」
 
グレイハウンド「あら、それは困るわね。ちょっと待って、調べてみるわ」
 
ー。
 
グレイハウンド「見て、シカゴから1駅経由してボストン市内に向かうバスを見つけたわ」
 
アムトラック「あらほんと?それじゃあこの子そっちに渡すわね、後よろしく」
 
ー。
 
ということで、ぽっかり空いたアムトラックの路線をグレイハウンドで埋める事が出来ました。
 
しかも格安、約2,30ドルの長距離バスだったかな?
 
夜中2時に出発だったから、夜行便割りかもしれない。
 

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He's got a ticket to ride
 
 
兎に角、こうして全ての訪れる駅を線で繋ぐことが出来、本当に良かった。
 
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それもこれも、彼女達の理解のある対応と優しさのおかげです。
 
拙い英語を話す僕と2時間も面と向かって話すなんて、絶対にストレス度アウトという感じ。
 

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ハイジさん、感謝!
 
旅をする時ハプニングは付き物だけれど、その都度人に救われそれを乗り越えて得る事が出来る学びのような物は、今後出逢う人に繋いでいく襷の様な物だと感じます。
 
色々な人の支えの中で、僕という人格が創り上げられていく感覚を身に染みて感じるなあ。
 
以下、アメリカ横断のそれぞれ訪れる予定の場所と日程です!
 
[6/22 Seattle, Washington]
[6/23 Emeryville, California]
[6/27 Salt Lake City, Utah]
[6/29 Denver, Colorado]
[7/3 Chicago, Illinois]
[7/6 Kansas City, Missouri]
[7/8 St. Louis, Missouri]
[7/10 Chicago, Illinois]
[7/11 Falmouth, Massachusetts]
[7/12 Martha’s Vineyard, Massachusetts]
[7/15 Falmouth, Massachusetts]
[7/15 New York, New York]
[7/17 Washington, DC]
[7/20 Indianapolis, Indiana]
[7/? Seattle, Washington]
 
 
 
 
 

Lake 22

2017/06/20

 

 

匠です

 

 

 

北米地域特有の長い雨季も過ぎ去り、山の緑や空、川、海など大きな自然が瑞々しくなってきた6月中旬。

 

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先日のTJの誕生日の時に出逢いお尻をぶつけ合いながら仲良く踊ったレイクシア(あだ名 "キキ")がハイキングに誘ってくれました。

 

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キキ(左)

 

待ち望んでいたカスケード山脈での登山に興奮、前日の夜には水筒など全て準備を整え遠足前の園児の様に就寝。楽しさから中々眠れませんでした。

 

当日は、キキと僕、そしてキキの友達2人計4人でハイキングへ。

 

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左から中国のヘイ、キキ、そしてフランスのグローリー

 

一つの車でCar Pool 出来る4、5人が、ハイキングには最適かも。

 

トレイル自体は、全体的になだらかなな坂が続く。

 

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傾斜が激しい箇所には、木造の階段が設置されていて、このLake 22のトレイルはきっと人気なのだろうと感じる。

 

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整備された登山道

 

途中、土砂崩れが起きたであろう道幅が物凄く狭い箇所があり、4人で手を出し合い支え合いながら先へ進むことが出来、こういった協力プレーも登山の醍醐味であるのは間違いないですね

 

 

 

約2マイル歩き、ゴールに近づくと大きく空のひらけた道が現れた。

 

その開いた視界からはまた別の山脈の山々を拝む事が出来、壮大な景色を横目に進むことの出来る何とも清清しい道でした。

 

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広大な山脈を背景に

 

そこで急に、キキの友達グローリーが持参したドローンを彼の背負っていたリュックサックから取り出した。

 

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ドローンの実物を見たのはこれが初めて、

そしてドローンを持っている友達に出逢ったのも初めてで、

 

登山中にそれを目にすることが出来て少し嬉しい。

 

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空高く飛ばし過ぎたり、遠くに飛ばし過ぎたりする事で見失ったり電波が届かなくなりそのままどこかへ消えてしまったり、そんなことは無いのかな…

 

また、この多くの木々に囲まれた広大な自然では鷹なども飛んでいそうで、掴まれてそのまま持っていかれてしまいそう。

 

そんな余分な心配を差し置いてグローリーは爽やかな笑顔を浮かべながらドローンを操る。

 

撮れた映像は、後で自宅で編集して送ってくれるとのこと。

 

完成が楽しみだ。(登山から一年後の2018年夏に以下の動画を共有してくれました)

 

 

 

トレイルを先に進むと、次に現れたのは穏やかな流れの小川。ゴツゴツと転がる岩の間を静かに流れている。大きな岩は白っぽいもので、きっと昔に噴火が起きた時のものだろう。

 

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川の最上部が湖になっている筈なので、ゴールが近づいていることを実感し、みんなの歩幅はさらに広がる。

 

そしてゴツゴツとした岩場と小川を超えた先に、突如大きな水面が現れた。

 

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Lake 22、面白い名前だけれど、

湖を中心に360山の斜面の景色が広がり、壮大、雄大そして寛大な景色。

 

迫力満点な景色と、風一つ起きていない平静とした水面の対比が一層それを引き立てている。

 

湖畔には倒れた木が流木の様にびっしりと敷き詰められ、その上を歩くことが出来る。

 

流石は頂上、6月中旬といえど雪解け水が流れ込んでいる湖なので、めちゃくちゃ冷たい。

 

僕は膝まで浸かり、その上で暖かい太陽の光を浴びた。

 

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表情が突き刺す冷たさを物語る

 

それぞれサンドイッチやチェリーなど、持参したお昼を食べながら小話を交える。

 

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なんと平和な時間だろう。

 

この様な体験は、忙しなく日々が過ぎていた日本での大学学生時代やアルバイト漬けの毎日ではあまり出来ずにいた。

 

大切なことを見落としていたのだなあ、

 

多くの人の流れの一つになってしまうと途端に、そうした時間の使い方を出来なくなる。

 

高校時代はまだ意味もなく河川敷を自転車で4、5時間走り回ったり、夕陽を友人とぼーっと眺めたり、人気のない森の奥で兎に角深い穴を掘り続けたり、偶発的な旅に幸福感を覚えていましたが、自然とその様な感覚は薄れていき、、

 

寛大な自然に包まれると、本来の命を受け持ったヒトとしての感性が引き立ちます。

 

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楽しかった、ありがとう!

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グローリー(右)は現在(2020年)、マイクロソフトでとある部署のマネージャーとしてバリバリ働いています。

 

 

そして明後日からはついに、長い間夢見ていた「アメリカ横断旅」が始まります。

 

6月22日のアムトラックの列車から始まる周遊、

 

今回登ったトレイル名はLake 22、

 

同じ数字で、グッドオーメン

 

次回から横断旅の様子をお届けしていきます。

グラッドナイト

2017/06/16

 

匠です。

 

学期末は、いつも色々な催しが開かれます。

 

前回は、ドラァグクイーンショーのパフォーマンスを楽しむことで、勉強で疲れ切った学生の頭をリラックスさせる目的がありました。

 

今回僕が参加したのは「グラッドナイト」と呼ばれる、主に留学生を対象とした表彰式の様なものです。

 

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2017年度広告用ポスター

 

グラッド “Grad.”は”Graduation”の略語で、直訳では「卒業の夜」と訳すことができます。

 

このイベントは、全ての期末テストが終わった後に開催されたので、皆んなが気兼ねなく楽しむことが出来る和気藹々とした雰囲気に包まれていました。

 

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入場前、廊下での様子

 

式当日は、フォーマル若しくはカジュアルフォーマルの服装で来てください、と告げられ、僕は日本から持って来ていたスーツを来て参加。他の日本人やアジアからの留学生はスーツが多かったですが、東南アジアは民族衣装、西洋系の人はジーンズにシャツといったカジュアルフォーマルの容姿で現れ、国民性が現れていて面白いな〜と感じました。

 

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東南アジア組の民族衣装、素敵

 

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当日はビュッフェ

 

イベントの内容は、

 

・有志のパフォーマンス

ESL: 語学学校修了の表彰

・Associate Degree: 準学士号修了の表彰

 

などで、その他の時間は食事、会話など自由に過ごし最後に写真撮影、ダンスといった内容です。

 

有志によるパフォーマンスは、とてもレベルが高く興奮しました!

 

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ギターの弾き語り、シャムのドラム、そして中東系の伝統舞踏。

 

皆んな事前に練習を重ね、当日の成功に繋げていました。

 

特に、シャムのドラムには拍手喝采

 

打楽器はなぜいつもこう心の高揚する感覚を与えてくれるのだろうか。

 

最も原始的な楽器の一つで、火の周りで僕たちの祖先が太鼓の音に合わせ踊る様子を想像すると、これは本能的なものなのかな、と感じます。

 

その時の様子が以下の動画です。

 

 

 

表彰式では、1人ずつ名前が呼ばれ、学習の達成を祝福。

 

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特に、Associate Degree 準学士号 を修了した人は、どこの四年生大学に転入するのか大学の名前まで発表されていたり、今後の目標などをみんなの前で話していたり、割と結構あからさまに公表するのだなあと、少し驚いた。

 

このイベントに参加するには参加費約10ドルを払わなければいけないのだけれど、大学の国際部からイベントの様子を写真に収めてほしいと頼まれ、無料で参加することが出来ました。

 

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人生の節目として、この様な形でお互いに祝福し合うと今まで取り組んできたことが着実に身を成していることを実感出来る。

 

特に、留学生は母国を離れ、これから確実に競争社会を身に染みて感じていくという期待と不安両方の感覚を持ち合わせた「学生」という時期を「Non-citizen 」として米国で過ごすというのは、大変なこと。

 

その時期を境遇の似た者同士分かち合えるというのは、少しばかりの救いではあります。

 

その様な機会を生み出してくれた大学の国際部とそれを支える学生スタッフには感謝です。

 

これから僕も留学生の1人として、何か異文化発信に関わるイベントや活動を企画運営して行きたいと、彼らに鼓舞された1日となりました。

 

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モン族のパーティーが凄かった

2017/06/11

 


匠です

 


皆さんは、「モン族」と呼ばれる人々がいるのをご存知でしょうか。

 

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伝統的な衣装を身に纏うモン族系の女性たち

 


人種や宗教の問題から、一概にまとめて系統化する事は難しいとは思いますが、今回僕が誘われたパーティーの人たちは「自称モン族」であったため、今回は「モン族のパーティー」と呼びます。

 


「モン」という響きからも、アジアの雰囲気を感じるとは思いますが、Wikipediaでは彼らのことは以下の様に説明されています。

 

 モン族 とは中国雲貴高原ベトナムラオスタイ山岳地帯にすむ民族集団ミャオ族の下位グループである。

モン族の「モン」は自称であり、モン語「(自由な)人」・「我々」・「自由」といった意味がある。「白モン」「花モン」など民族衣装の色調に基づいて類別された呼称は他の民族が付けた他称であり、タイでの呼称「メオ(Meo)」はモン族からは蔑称として捉えられている

アニミズムシャーマニズムを信仰し、クロスステッチを多用した民族衣装が著名である。モン族全体で漢族に似た30ほどのがあり、1つの村は1から10種類の姓の父系出自集団によって構成される。家族形態は核家族または既婚の息子家族が同居する拡大家族であり、一夫多妻婚レビラト婚も存在する。

モン族の本来の生業は移動開拓する焼畑農業であり、海抜千数百メートル程度の山地を開墾し、地力が衰えると放棄し移動した。主な作物は陸稲トウモロコシだが、かつてはアヘンケシの栽培で有名となった。 近年は、芥子栽培の禁止と焼畑の耕作制限によって常畑農耕による定住生活に切り替わりつつある。

 
面白い、、

 


国籍の定まっていない系統。

ある情報サイトでは彼らのことを「国境なき民族」と呼んでいました。

米国の中には、この様に肌の色や国籍を超え細かく分類下されている例が多くある様です。流石「人種のるつぼ」と呼ばれる開拓民の国と呼ばれるだけあります。

 

米国に居住するモン族系の人の多くはベトナム戦争が深く関係しているようです。

 

アメリカがベトナム戦争に敗れると、モン族は見捨てられ行き場を失った。彼らの多くはベトナム軍、ラオスの共産勢力、パテート・ラーオの三者による掃討作戦で返り討ちに遭い、女、子供も含めて虐殺された。数十万のモン族が政治亡命を求めタイに逃げた。これらの難民数千人が1970年代後半から欧米諸国、主に米国、またオーストラリア、フランス、フランス領ギアナカナダ、および南米に移住している。その他は国連の本国送還プログラムのもと、ラオスに戻った。ベトナムカンボジア内戦をめぐって対立したタイや、中越戦争ベトナムラオスと敵対した中華人民共和国によって支援されたモン族による反政府活動も起きた。

ラオス国内ではゲリラ化したモン族による抵抗闘争や、山賊化したモン族による犯罪が散発的につづき、この問題がいまだに解決していないことを示している。

 

 闘争や犯罪など、未だに解決していないということを考えると、血の足跡を残す戦争や内戦は本当に残酷で胸が苦しめられます。

 

 

そんな悲しい過去に対し、その夜はとても楽しく賑わい、笑顔に溢れた夜となりました。

 

 

 

今回のパーティの主題は「TJの誕生日」

 

先日マカティオのビーチで知り合った彼の誕生日パーティだったようです。

 

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乾杯の音頭をとるTJ

 

開催場所は彼の実家のあるサルタンと呼ばれる地域、僕の住む港町エバレットから車で東に2,30分向かった内陸部に在ります。

 

彼の家に近づくと、爆音と振動が体に伝わり流れてきた。

 

SOSの狼煙の様に既に野外グリルからは煙が立ち上がり、飲み食いを始めている様だ。

 

僕らも着くや否や、米国の格安ビールBudlight の瓶/缶を渡され、飲み始める。

 

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そんな火力いるかな

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僕もお手伝い

 

 

いやあ、それにしてもよく飲む、食べる。そして踊る。

 

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勢いが止まる気配はない。

 

家の中では人が倒れている。

 

「外で車のカギを落とした」と1時間弱うろうろしている者もいる。

 

その中に混ざり、泥酔した人々を水鉄砲で狙うTJの息子たち。

 

狂喜さえ感じた。

 

そんな大きな勢いの波に圧倒されながらも、

 

自身も大いに楽しんでいたのは事実。

 

 

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日本では毎週末、流し込む様に飲み食いし翌日体に残るというのは異様な文化の一つであるのは確か。 

 

圧倒されつつも、どこか懐かしい感覚が体を刺激しました。

 

最終的には僕も輪に入ることが出来、とても楽しい夜となりました。

 

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当初はあまり気にならなかったけれど

 

彼らが彼ら自身を「モン族」と呼ぶことには

 

何かしらの敬意や祖先を想う気持ちがあるのだろう。

 

元来のモン族の様にシャーマニズムを信仰していたり、焼畑農業で開拓しながら土地を移動する民族の形は彼らには見られないけれど、

 

 

彼らの間にある大きな絆を感じることが出来、

 

僕も自身のアイデンティティについてもう少し考えてみようと思う契機となりました。

 

日中、空に架かった虹はとても綺麗でした。

 

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