【アメリカ横断】第3話~SF観光編~
2017/06/24
匠です。
宿も見つかり、荷物を置きやっと安心して観光を始めることができる。
今回僕が一日で訪れた観光地は以下3か所
1 ゴールデンゲートブリッジ&アルカトラズ島
2 ロンバートストリート
3 コイットタワー
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) June 11, 2020
宿も決まり、荷物を置き観光へ。
サンフランシスコ市内を回ります。#アメリカ #留学 #北米 #旅 #ブログ #英語 #一人旅 #写真 #列車旅 #アメリカ横断https://t.co/cObQX7KWmc pic.twitter.com/0iSzDcdPPn
時間も限られていたので、今回旅行中目に留まったこの3か所を訪れることに。
※今回の横断旅では、訪問地の事前リサーチなどを一切行っていません。
1 ゴールデンゲートブリッジ&アルカトラズ島
脱出不可能!監獄、アルカトラズ島&自殺者多きゴールデンゲートブリッジ。
音声案内付きのクルージング。
船に乗り込みいざ出発という所で、自分のヘッドホンだけ不調。
今回の旅はツクヅク電子機器に弄ばれています。
何とか立ち直し、第二次世界対戦時の船々を横目に先にブリッジへ。
建設不可能と言われていたのも納得のいく長さと迫力。
上の方は霧に覆われて見えませんでした…
あそこから飛び降りる人が後を絶たないのだとか。映画「ブリッジ」のモチーフ。
アルカトラズ島は、霧の中から急に現れます!
岩で作られたこの島は、映画「ザ・ロック」で有名。
上陸したかったけど、予約は2ヶ月先まで。
監獄としての島が終わり、土地が放棄された後、インディアンとポリティシャンが遺した落書きが印象的です。
監視の家族達もロックの上で暮らしていたので、アルカトラズで育った子どもも何人かいるそう、
過去36人が脱出を試みて、成功は3人。
キッチンスプーンを使って脱獄したモリスとアングリン兄弟。
平均水温13度のサンフラの海を3キロ泳ぎきれたかは不明で、彼らは未だ見つかっていません!
皮肉にも、トライアスロンの水泳競技が行われることもあるらしい!面白い!
更に詳しい情報については以下の記事をぜひご参考に!
2 ロンバートストリート
ロンバート・ストリート。
ロシアン・ヒルのハイド・ストリートから丘の下にあるリーベンワース・ストリートへと下る道、400mほどの坂道の間に8ヶ所もの急カーブ。
世界一曲がりくねった坂道と呼ばれるこの坂道。
記念にと、多くの車やスケーターがこの坂道を下っていました。
にしても、サンフランシスコの街は坂道が多い。
今回の旅はほぼ徒歩なので、一日が終わる頃には足がパンパン。
行き先も決めず歩き続けるからこそ、こうした少し変わった道を見つけることも出来たのだけどね。
More details on the link below
3 コイットタワー
この塔は、サンフランシスコの街を歩き回ると必ず目に入るかと思います。
実際にここへ向かう人は多いのかどうかは分からないけれど、
「塔」や「シンボル」と成り得る街中にある建造物には
必ずといっていいほど、歴史的背景があるもの。
今回訪れたコイットタワーの一回ロビーの壁にも、「世界恐慌」に関する歴史が遺っていました。
約80年前、世界中のアーティスト約20名がここに集まり、当時の様子を壁に遺したそう。
しかし、コイトタワーが建てられた経緯は「私が愛し続けたこの街を、より美しくするために」と言い残したリリー・ヒッチコック・コイト Lillie Hichcock Coitの遺産12万5000ドルによるものだそう。
旅人御用達の旅情報サイト「地球の歩き方」では
完成は1933年。1906年の大地震で発生した火災に立ち向かった消防士をたたえて、消火ホースのノズルの形をイメージしてデザインされたといわれるが、設計者にはそんなつもりはなかったようだ。限られた予算で、狭い敷地に記念碑を造るためにシンプルな円柱状のデザインを考えたのだ。丘の上でも不安定な印象を与えないために、実際は完全な円柱ではなく、頂上部の直径は一番下の部分と比べると約50cmほど小さい。
エレベーターと階段で頂上の展望台へ。小さな窓から外をのぞくかたちで視界は広くないが、サンフランシスコの美しい景色を見渡せる。特にトランスアメリカのビルは大迫力だ。
と説明されている。
約10ドルの入場料を支払い、頂上へ登るエレベーターへ乗り込む。
頂上部から1つ下の階にエレベーターが停まり、
そこから10歩ほど階段で上に登る。
そして目の前に現れる展望台
本当であれば、ベイサイドエリアの魚介グルメや、
郊外にあるブドウ畑でワインを堪能するのが、
サンフランシスコの旅行の醍醐味なのだろうなあ。
しかし、貧乏大学生の僕は限られた時間の中で
如何に安く効率的に多くの人に出逢い色々なものを見て回れるか
時間との戦いです。
明日でサンフランシスコ最終日、
カウチサーフィンというアプリを介して知り合った
フィリピン人のナラさんと合流して、
プライドパレードを観に行きます。
【アメリカ横断】第2話~アフマドさん~
2017/06/23
匠です。
「あーやっちまった」
これがノープランの面倒臭さ。予想を上回る程度な田舎で、周りにホテルも見当たらない。
しかし!サンフランシスコ行きのバスを発見。
チケットを購入しようと試みたけれど、スタッフが朝飯休憩中で購入出来ず。
正直にバス員さんにそれを伝えると、なんとタダで乗せてくれました。
乗り込むと隣の席にカールさん、
「I can’t stay away from you man」と一言。
サンフランシスコダウンタウンまで再び共に。
途中、世界一有名な監獄、アルカトラズの島が見えたので行くことに決めました。
カールさんには動物園をめちゃくちゃ勧められたけど、今回はパス・・・
バスは、大海原を跨る巨大な鉄筋橋の上を走行中。
街に入り組み聳え立つビル達の間を潜り抜ける様に道路が繋がっていて、
一種のアトラクションでありました。
さて
街に着き、まず初めにすること。宿探し。
実は事前に格安ホテル予約アプリAgodaを利用し、
「Music Inn」という安めのドミトリーを発見、事前予約していました。
朝10時頃にはそこに着いていたけれど、午後3時からしかチェックイン出来ないと言われ、周辺散策&ロビー居候。行きのバスから見えたアルカトラズ島へのツアー予約。
悔しいので、アルカトラズ島近くまで行けるゴールデンゲートブリッジクルーズ船ツアーを代わりに予約。
ツアー予約完了はしたものの、その直後2つの異常発生。
1 カメラのシャッターが切れない。フォーカスも合わせられない。
2 予約したMusic Innの部屋が女性専用。宿泊不可能。
初日にこの仕打ち。とりあえず、近くのカメラ屋さんへ向かいます。
カメラヘブンという見るからに怪しい近くのカメラショップへ。
修理不可と言われ壊れた18-55と55-200のレンズを売り、18-135を購入。
いちいちレンズを切り替える悩みが解決。満足。
カメラショップを出て、新しい宿「Hotel Sutter Larkin」を見つけ、中に。
フロント無し。階段上り切り「ニホンジンデショ?」という声。
怪しいオーナーと遭遇。
「なぜ日本語を話せるの?」
話を聴くと、過去15年間、日本に住んでいたらしいです。
自国が危なく日本が好景気の頃、覚悟を決め、家族のため日本へ。
鳶職として高層ビルや吊り橋での建設作業をしていたようです。
何か運命を感じここに泊まることに。
通常料金の30%引きで案内してくれました。
次回はサンフランシスコ市内観光編です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) June 10, 2020
サンフランシスコに到着し、ハプニングが重なります。
しかし、素敵な出逢いにも恵まれました。#アメリカ #留学 #北米 #旅 #ブログ #英語 #一人旅 #写真 #列車旅 #アメリカ横断https://t.co/Ew7HlFXtfB pic.twitter.com/WVoAfYllY0
【アメリカ横断】第1話~旅立ちの日編~
2017/06/22
匠です。
「初日から乗り遅れたら、全てが台無しだ」
という不安から、出発前夜は中々眠れませんでした、
というか寝ませんでした。
朝9時半頃、シアトルのキング駅発のアムトラック列車に乗らなくてはならないので、
朝5時頃家を出て、エバレット駅からバスでシアトルへ。
幸運な事に、エバレット駅から列車乗り場近くのチャイナタウンに在るバス停は
「始発駅」と「終着駅」なので途中寝過ごす心配はない。(着いたら無理やり起こされる)
昨晩は一睡もしていないので、バス車内で爆睡。
チャイナタウンから歩いて1分程、真横に在るキング駅へ向かう。
駅構内に入ると、多くの荷物を抱えた人々が待合室で項垂れている。
どうやら、長い間乗車する列車を待ち続けている様だ。
バスもそうだったけれど、米国内の交通機関はよく遅延する。
計画通りに進んだことなど一度もない。
特に列車は大幅に遅れることが普通の様だ。
幸運にも、僕の列車は定刻発車。
さて、日本でも恐らく乗ったことがない長距離列車。
しかも約23時間の乗車。
リクライニングのシートではあるものの、
流石に約丸一日椅子に座るのは厳しい。
そんな長くジワジワと過酷な旅の初めての相席は彼
薬物犯罪ドラマ「ブレイキングバッド」で御馴染み、
ニューメキシコ州アルバーカーキから、シアトル市内に住む甥を訪れていたそう。
僕が写真内で手に持っている帽子の刺繍は、
アメリカ60年代のロックバンド「グレイトフルデッド」のもっとも有名なロゴ「スティール・ユア・フェイス・スカル」です。
エバレットで出逢った友人ノアが最も尊敬するバンドのひとつで、
彼とひとつ屋根の下共に暮らし始めて以来、僕も彼の影響でずっと聴いている音楽。
それを初めての相席カールさんが手にしているなんて、不思議なご縁です。
隣に座ったカールさん。日本の福島原発事故のことを知っていました。
過去15年間原子力関係の仕事をしていて、今はホームレスだそう。
プルトニウムの半滅期が24000年だということを教えてもらいました。
長いから危険だということには繋がらないけれど、こういった知識を知らないところで
「同情」は「非情」だと告げられました。
「誰も傷つけない”理解”から入れ」
そんな彼の言葉を浴びていながら
原子力関連の職に就いたきっかけを聴き忘れてしまいました。
そんな自戒の念を抱いている僕には、容赦のない睡魔が襲い掛かり就寝。
_______
一体、何時間経ったのだろうか。
窓の外の景色が異国の様だ!
カラッと乾燥した大地にボサっと生えている木々は、明らかに北米のそれらとは異なる。
少し寝違え固くなった関節を延ばし、重い腰を持ちあげてやり休憩用車両へと向かう。
景色が美しいからだろうか、列車はのんびりと進んでいる様だ。
まあ、焦ることもないのでゆっくりとした時間を噛みしめよう。
そんな列車内のゆったり流れる様子が以下の動画です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) June 10, 2020
アメリカ横断旅初日、旅立ち編です。
動画はのんびり列車内の様子です。#アメリカ #留学 #北米 #旅 #ブログ #英語 #一人旅 #写真 #列車旅 #アメリカ横断https://t.co/Ke8Rc6EWbq pic.twitter.com/AHCGVepfVV
そうしているうちにまたしても寝落ちてしまう。
今度は休憩室のテーブルで。
授業中、居眠りをする中学生の様な状態。
___
目を覚ますと、外の景色が少しではあるがまた違っていることに気付く。
カラっとした大地から、ヌメっとした湿地に変わった。
これもまたずーーーっと続く一定の景色。
グーグルのGPSを開くと、もうカリフォルニア州に入ろうかという所!
目が覚めてよかった。笑
次駅、エミリービル駅が近づいている様だ。
さあ、初めてのカリフォルニア州。
何を見せてくれるのか、楽しみだ!
【アメリカ横断】第0話~チケット予約編~
[6/23 Emeryville, California]
[6/27 Salt Lake City, Utah]
[6/29 Denver, Colorado]
[7/3 Chicago, Illinois]
[7/6 Kansas City, Missouri]
[7/8 St. Louis, Missouri]
[7/10 Chicago, Illinois]
[7/11 Falmouth, Massachusetts]
[7/12 Martha’s Vineyard, Massachusetts]
[7/15 Falmouth, Massachusetts]
[7/15 New York, New York]
[7/17 Washington, DC]
[7/20 Indianapolis, Indiana]
[7/? Seattle, Washington]
Lake 22
2017/06/20
匠です
北米地域特有の長い雨季も過ぎ去り、山の緑や空、川、
先日のTJの誕生日の時に出逢いお尻をぶつけ合いながら仲良く踊
待ち望んでいたカスケード山脈での登山に興奮、
当日は、キキと僕、そしてキキの友達2人計4人でハイキングへ。
一つの車でCar Pool 出来る4、5人が、ハイキングには最適かも。
トレイル自体は、全体的になだらかなな坂が続く。
傾斜が激しい箇所には、木造の階段が設置されていて、このLak
途中、土砂崩れが起きたであろう道幅が物凄く狭い箇所があり、4
約2マイル歩き、
その開いた視界からはまた別の山脈の山々を拝む事が出来、
そこで急に、キキの友達グローリーが持参したドローンを彼の背負っていたリュック
ドローンの実物を見たのはこれが初めて、
そしてドローンを持っている友達に出逢ったのも初めてで、
登山中にそれを目にすることが出来て少し嬉しい。
空高く飛ばし過ぎたり、
また、
そんな余分な心配を差し置いてグローリーは爽やかな笑顔を浮かべなが
撮れた映像は、後で自宅で編集して送ってくれるとのこと。
完成が楽しみだ。(登山から一年後の2018年夏に以下の動画を共有してくれました)
トレイルを先に進むと、次に現れたのは穏やかな流れの小川。
川の最上部が湖になっている筈なので、
そしてゴツゴツとした岩場と小川を超えた先に、
Lake 22、面白い名前だけれど、
湖を中心に360山の斜面の景色が広がり、壮大、雄大、
迫力満点な景色と、
湖畔には倒れた木が流木の様にびっしりと敷き詰められ、
流石は頂上、6月中旬といえど雪解け水が流れ込んでいる湖なので
僕は膝まで浸かり、その上で暖かい太陽の光を浴びた。
それぞれサンドイッチやチェリーなど、
なんと平和な時間だろう。
この様な体験は、
大切なことを見落としていたのだなあ、
多くの人の流れの一つになってしまうと途端に、
高校時代はまだ意味もなく河川敷を自転車で4、5時間走り回った
寛大な自然に包まれると、
そして明後日からはついに、長い間夢見ていた「アメリカ横断旅」が始まります。
6月22日のアムトラックの列車から始まる周遊、
今回登ったトレイル名はLake 22、
同じ数字で、グッドオーメン。
次回から横断旅の様子をお届けしていきます。
グラッドナイト
2017/06/16
匠です。
学期末は、いつも色々な催しが開かれます。
前回は、
今回僕が参加したのは「グラッドナイト」と呼ばれる、
グラッド “Grad.”は”Graduation”の略語で、直訳では「
このイベントは、
式当日は、
イベントの内容は、
・有志のパフォーマンス
・ESL: 語学学校修了の表彰
・Associate Degree: 準学士号修了の表彰
などで、その他の時間は食事、
有志によるパフォーマンスは、とてもレベルが高く興奮しました!
ギターの弾き語り、シャムのドラム、そして中東系の伝統舞踏。
皆んな事前に練習を重ね、当日の成功に繋げていました。
特に、シャムのドラムには拍手喝采!
打楽器はなぜいつもこう心の高揚する感覚を与えてくれるのだろう
最も原始的な楽器の一つで、
その時の様子が以下の動画です。
【ブログを更新しました】
— 三浦 匠吾 (@shg_mur) May 29, 2020
学位取得や、語学学校修了を祝福する Grad. Night イベントに参加してきました。
動画は、式前半に行われた有志学生による出し物の様子です。https://t.co/VtaogfmGl2 pic.twitter.com/UaURztkcNB
表彰式では、1人ずつ名前が呼ばれ、学習の達成を祝福。
特に、Associate Degree 準学士号 を修了した人は、
このイベントに参加するには参加費約10ドルを払わなければいけ
人生の節目として、
特に、留学生は母国を離れ、
その時期を境遇の似た者同士分かち合えるというのは、
その様な機会を生み出してくれた大学の国際部とそれを支える学生
これから僕も留学生の1人として、
モン族のパーティーが凄かった
2017/06/11
匠です
皆さんは、「モン族」と呼ばれる人々がいるのをご存知でしょうか。
人種や宗教の問題から、一概にまとめて系統化する事は難しいとは思いますが、今回僕が誘われたパーティーの人たちは「自称モン族」であったため、今回は「モン族のパーティー」と呼びます。
「モン」という響きからも、アジアの雰囲気を感じるとは思いますが、Wikipediaでは彼らのことは以下の様に説明されています。
モン族 とは中国の雲貴高原、ベトナム、ラオス、タイの山岳地帯にすむ民族集団。ミャオ族の下位グループである。
モン族の「モン」は自称であり、モン語で「(自由な)人」・「我々」・「自由」といった意味がある。「白モン」「花モン」など民族衣装の色調に基づいて類別された呼称は他の民族が付けた他称であり、タイでの呼称「メオ(Meo)」はモン族からは蔑称として捉えられている。
アニミズム・シャーマニズムを信仰し、クロスステッチを多用した民族衣装が著名である。モン族全体で漢族に似た30ほどの姓があり、1つの村は1から10種類の姓の父系出自集団によって構成される。家族形態は核家族または既婚の息子家族が同居する拡大家族であり、一夫多妻婚やレビラト婚も存在する。
モン族の本来の生業は移動開拓する焼畑農業であり、海抜千数百メートル程度の山地を開墾し、地力が衰えると放棄し移動した。主な作物は陸稲やトウモロコシだが、かつてはアヘンケシの栽培で有名となった。 近年は、芥子栽培の禁止と焼畑の耕作制限によって常畑農耕による定住生活に切り替わりつつある。
面白い、、
国籍の定まっていない系統。
ある情報サイトでは彼らのことを「国境なき民族」と呼んでいました。
米国の中には、この様に肌の色や国籍を超え細かく分類下されている例が多くある様です。流石「人種のるつぼ」と呼ばれる開拓民の国と呼ばれるだけあります。
米国に居住するモン族系の人の多くはベトナム戦争が深く関係しているようです。
アメリカがベトナム戦争に敗れると、モン族は見捨てられ行き場を失った。彼らの多くはベトナム軍、ラオスの共産勢力、パテート・ラーオの三者による掃討作戦で返り討ちに遭い、女、子供も含めて虐殺された。数十万のモン族が政治亡命を求めタイに逃げた。これらの難民数千人が1970年代後半から欧米諸国、主に米国、またオーストラリア、フランス、フランス領ギアナ、カナダ、および南米に移住している。その他は国連の本国送還プログラムのもと、ラオスに戻った。ベトナムとカンボジア内戦をめぐって対立したタイや、中越戦争でベトナムやラオスと敵対した中華人民共和国によって支援されたモン族による反政府活動も起きた。
ラオス国内ではゲリラ化したモン族による抵抗闘争や、山賊化したモン族による犯罪が散発的につづき、この問題がいまだに解決していないことを示している。
闘争や犯罪など、未だに解決していないということを考えると、血の足跡を残す戦争や内戦は本当に残酷で胸が苦しめられます。
そんな悲しい過去に対し、その夜はとても楽しく賑わい、笑顔に溢れた夜となりました。
今回のパーティの主題は「TJの誕生日」
先日マカティオのビーチで知り合った彼の誕生日パーティだったようです。
開催場所は彼の実家のあるサルタンと呼ばれる地域、僕の住む港町エバレットから車で東に2,30分向かった内陸部に在ります。
彼の家に近づくと、爆音と振動が体に伝わり流れてきた。
SOSの狼煙の様に既に野外グリルからは煙が立ち上がり、飲み食いを始めている様だ。
僕らも着くや否や、米国の格安ビールBudlight の瓶/缶を渡され、飲み始める。
いやあ、それにしてもよく飲む、食べる。そして踊る。
勢いが止まる気配はない。
家の中では人が倒れている。
「外で車のカギを落とした」と1時間弱うろうろしている者もいる。
その中に混ざり、泥酔した人々を水鉄砲で狙うTJの息子たち。
狂喜さえ感じた。
そんな大きな勢いの波に圧倒されながらも、
自身も大いに楽しんでいたのは事実。
日本では毎週末、流し込む様に飲み食いし翌日体に残るというのは異様な文化の一つであるのは確か。
圧倒されつつも、どこか懐かしい感覚が体を刺激しました。
最終的には僕も輪に入ることが出来、とても楽しい夜となりました。
当初はあまり気にならなかったけれど
彼らが彼ら自身を「モン族」と呼ぶことには
何かしらの敬意や祖先を想う気持ちがあるのだろう。
元来のモン族の様にシャーマニズムを信仰していたり、焼畑農業で開拓しながら土地を移動する民族の形は彼らには見られないけれど、
彼らの間にある大きな絆を感じることが出来、
僕も自身のアイデンティティについてもう少し考えてみようと思う契機となりました。
日中、空に架かった虹はとても綺麗でした。